ノクターン

観劇日時/15.3.12.  19:00~20:40
劇団名/富良野GROUP
公演名/2015冬

作・演出/倉本聰
出演/納谷真大・森上千絵・久保隆徳・水津聡
栗栖綾濃・大山茂樹・松本りき
六条寿倖・黨清信・東誠一郎
吉田乃々佳・吉田有紀・
松下日花里・松下姫良里(ダブルキャスト)

劇場名/鷹栖メロディホール

物質的欲望に負けた人間への天罰

 福島の原発で孫請け零細会社の作業員として働いていた男(=納谷真大)は、ある時、震災と放射線で廃屋となったある彫刻家のアトリエへ迷い込んだ。室内は壊れた家具・家財で荒れ乱れていて、ところどころに人体彫刻の首や手足などが転がっていた。
 男は、片隅にあった薪ストーブにその辺にあった木端を入れて火をつける。新聞記者が後を付けてきて、何かと話しかけるが、男は何故か反応しない。
 このアトリエの住人の女性彫刻家が戻ってきて散らばった彫刻の部分を集めて修理復元しようと男たちに手伝わせる。何故か男も新聞記者も素直に手伝う。彫刻家の妹という人が入って来るが、姉の彫刻家は妹は頭を病んでいるといい、妹はピアノに向かい「ノクターン」を弾き、時々訳の分からない呟きを洩らす。
 男はストーブで暖を取りながら、3.11で受難した経緯と、その時に事故の被害を出来るだけ小さくしようと必死になっている同僚と、逃げることだけを考えていた自分の思いなどを延々と独り言で喋り続ける。
 すると、それに呼応するように修理を終えた3体のピエロを模した人体彫刻が動きだし口を利く。その中の一体の女性像は彼の妻であった。当日、彼らの幼い娘姉妹は津波に呑まれて2週間後に遺体で発見された。姉妹はピアノリサイタルに出演するはずだったのだが、その経緯を巡って夫婦は互いに娘たちを危険な目に遭わせた責任について非難し合う。しかしそれは互いに自己反省すべきことの裏返しであった見方もできることは承知の上だ。
 この辺りで、この情景は、おそらく男の夢か妄想であろうと想像がつく。ほとんど全編は、この男と3体の動いて口を利くピエロの彫刻による原発の存在とその事後処理に対する強硬な批判とその犠牲になったたくさんの弱い人たちへの鎮魂の叫びだ。
 そういう意図を巧みな形で舞台化したアイデァと技巧は強い訴求力を持つ。だが「座・れら」が魅せた『不知火の燃ゆ』のような直接に弾劾しないで静かに事実を描くことによって逆により強い告発力を表現したのとは違う方法に思えた。そういう意味では脳を病んだ妹のピアニストが全編を通して終始「ノクターン」の演奏を続ける姿が強く印象に残った。
 最後に男の夢の中で亡くなった娘姉妹が演奏会で弾く予定だった「ノクターン」を演奏する。泣いて絶叫する男……このシーンはさすがに感動的だが、男は黙って静かに娘たちを見つめていた方が感動はより強いのではないかと思っていた。絶叫する男の気持ちはよく分かるが、白ける。感動の強制みたいな気がする。
 そしてさらに舞台は、十億年後の海底深く沈んだ3体のピエロが横たわる情景が舞台いっぱいに拡げられる。その時、人類は生き続けているのか、既に滅亡しているのか、この彫刻達も型を保っているのか、でも有害な放射線は放射し続けているだろうと、ピエロたちは静かに語り続ける……ここに強いメッセージがあるのだ。
 原子力発電の暴発というのは、物質的欲望に負けて神の領域へ踏み込んだ人類の、己の力を過信した傲慢さへの天罰なのである。