カメヤ演芸場物語

観劇日時/15.1.26. 19:30~21:15
劇団名/劇団 イナダ組

作・演出/イナダ 照明/相馬寛之
音響/奥山奈々 舞台/FUKUDA舞台
衣装/村山里美 舞台監督/上田知
音楽制作/ジョーダウン 小道具/中村ひさえ
宣伝美術/山田マサル WEB/奥島康
制作/小柳由美子・村山里美・新浜円
駒野華代・稲村みゆき・中村ひさえ

劇場名/コンカリーニョ

出演者/演芸場の二代目新米オーナー(=武田晋)
・演芸場の支配人(=藤村忠寿)
夫婦漫才の夫(=ツルオカ)
・その妻(=山村素絵)
コント芸人の一人(=能登英輔)
・学生運動の逃避者(=赤谷翔次郎)
楽屋に入り浸りの近所の食堂のオネェ(=氏次啓)
売れない落語家(=山田マサル)
・刑事(=町田誠也)

芸人たち・学生運動から逃げてきた若者たち・警官・腹話術師と   
その人形などに、大和田舞・吉田あさぎ・阿部星来・小倉祐介など、
他にフライヤーにもパンフにも紹介されていない役者さんを含めて
総計16人の出演。

フライヤーにも当日パンフにも出演者の名前だけで
役名の記載がなく推量で書きました。

山田マサルさんと町田誠也さんの二人は全く記載がありませんでした。

頓挫した学生運動の若者たち

 ガッチリと造りこまれたリアルな舞台装置は、71年(昭和46年)ころの東京・浅草の演芸場の楽屋。様々なお笑い芸人たちが出番を待っているが、いずれも売れない、あるいは売り出し前の芸人たちだ。
 いろんな事情を抱えながら逞しく、目指す芸を磨こうと明るく生きている。その中で妻が回復不能の重病を患って、一同の激励と妻の指導とを受けて、夫は後を継ぐ若い女芸人を育てようとする。そのデビュウー舞台の日に友人たちに介護されながら楽屋を訪れる妻。
 このエピソードが芯になっているいわゆる人情喜劇だが、実に巧妙に創られているからまるで本物の新喜劇か新派悲喜劇を視ているような感じだ。
 ところが僕が初演を観て異常に強い関心を持ったのは、実は別の脇筋の部分であり、それは今回もほとんど同じであった。初演で感じた事の返答とも思える場面は『第3柿沼特攻隊』のラスト・シーンでの一斉蜂起の幻想にあったように思われたのである。
 以下、04年11月初演『カメヤ演芸場物語』の記事から、その部分の抜粋。
          ☆
 しかしあえて僕の納得できなかったことは、学生運動の若者たちの扱いだ。もちろん肯定的に描かれていて、この演芸場の庶民の人たちとの交流も暖かく心を通じ合わせている。しかしそれはあくまでも人情喜劇の添え物としてしか扱われていない。話の奥行きと幅を広げるための小道具として使われているに過ぎない。
 この舞台に、かの学生運動の苛烈な闘争の意義を問うのは筋違いかもしれない。だが、このよく出来てこれだけ大勢の若い観客に圧倒的に受け入れられたエンターテインメントに、かつて挫折した若い闘士たちを登場させたのならば、彼らの真意についてもう少し掘り下げられなかったのかなぁと思うのは無理であり僕の感傷であろうか?
 ここでは若さのゆえに暴走し、暴走し損なった可哀想な若者たちという印象が強い。それではせっかく登場したかつての純情一途な彼らが気の毒だと思えてならない。
 今、この時期の若い人たちに強いインパクトを与えるべき期待をしたかったのは、ないものねだりなのだろうか? 可能性もあっただけにいささか残念な思いが残る。