後 記

表現の自由と自制  15年1月9日

 フランスの週刊誌『シャルリー・エブド』誌がイスラム教の暴徒の襲撃に会い、12人が銃殺された。もちろん表現の自由に対するテロ行為であり、それ自体は断じて許されるものではない。
 だが、その記事によると、「フランスにはテロは起きていない」とか「まだ時間はある」とか、風刺絵に添えられた文言には、相手を挑発しているような語句があるのを見て、何かとても虚しい気がしたのだ。
 表現の自由が大前提であることは論を待たない。言論には言論で対抗するのが当たり前でテロは問題外なのは当然だ。
 だが今朝の朝日新聞の「天声人語」の紹介では、宮武外骨を例に引いた後、フランスの劇作家で俳優のサシャ・ギトリという人の言葉を紹介している。
 「無礼な言葉はかつて目的を達したことがなく、憎しみは常に目標を乗り越えてしまう」(『エスプリとユーモア』岩波新書)。
 そして「憎悪をあおる過激さは、外骨の反骨精神とは似つかない代物である」、と結んでいる。
 表現に携わる一人として、まして反骨・風刺を大事に思う一人として、これはとても基本的な精神だろうと再確認したのだった。