Mix 公演

観劇日時/14.12.6.
劇団名/ぱるふぇ

宣伝美術/関沢香奈 プロデューサー/松本智彦 制作/山口祐佳  

劇場名/レッドベリースタジオ

演目1  愛づられ

上演時間/14:00~15:10
作・演出/金内直文
 
美術/大池ひとみ・嶋崎陽・鈴木由乃・
八谷説大・柳沼紗英子・安田千皓
照明/鈴木由乃 音響/上西麻里沙 
ヘアメイク/廣中みか・大池ひとみ・嶋崎陽
舞台監督/孫竹紗永

男と女~愛の観念劇? 妄想劇

 男(=竹崎孝之介)の許を去った女(=嶋崎陽)が、別の男(=空閑興一郎)と暮らしている。去られた男が捜し当てて訪ねて来る。男二人の、女を巡る口論。源氏物語を軸にした愛の規定論。実は女は亡霊だったようだ。
 開幕早々、いっさい口を利かずフラフラと部屋の中をさまよう女は、頭に大きな傷口を見せて、ただの女ではない存在を感じさせる。男はジュースを飲ませたり、携帯で会話をしようとしてみたり、自分が送ったラブレターを読んで聞かせたり、異常な挙動の連続だ。
 前の男がいきなり訪ねて来たときも新しく一緒に暮らし始めた男の態度も普通の対応じゃない。つまりすべてが観念的であり、源氏物語を媒介とした幻想の物語であり、演出・演技もリアルじゃないところを狙っているのか?
 恐らく、そういう愛の観念を抽象的に表現しようとした舞台であろうと思うが、「意余って力足らず」の印象が強い。この言葉は本来「意余って言葉足らず」だろうが、この舞台の場合「言葉」より「表現の力」とした方が良さそうだ。

演目2  亀、もしくは……

上演時間/15:30~16:40
原作/カリンティ・フリジェシュ 
翻訳/岩崎悦子 
脚色/斎藤歩 演出/上西佑樹
美術/伊藤愛 照明/孫竹紗永 
音響/上西麻里沙 舞台監督/酒井彩   出演/部外者・竹崎孝之介・
安富大祐・上西佑樹

観念的な説明になっていた

 この表現力の難しさを求められる傑作を取り上げた若い力をとりあえず評価する。こういう舞台を具体化することが次の演劇世界を創って行く力になっていくのだろうと思う。だが、この舞台も意余って力足らずが如実に出て残念な出来ではあった。
 一番気になったのは、全体が観念的で説明的なことだ。話の展開は充分に承知の上で演じているのだが、それを何とか説明しようとしているのがモロに見えるのだ。演劇は説明じゃない。
 それと気になったのは舞台装置の粗雑さだ。ドアを開け閉めするごとにアルミ箔を貼った粗雑な壁がブラブラと揺れていかにもお粗末なのだ。こういう舞台ではその舞台装置のリアリティが中身を保証する。それがない。
 良かったところ。ラストで、この芝居が実はこの精神病院の入院患者が遊んだ「お芝居ごっこ」だったと打ち明けて明日の計画を相談し、明日は最後に全員が亀に変身し、屋上から夜空に舞い上がって踊ろうよ、と提案して幕になるのだが、この舞台では最後に全員が亀になって、ソプラノが歌うアベマリアに乗って歌い踊るのだが、そこへ看護師たちがなだれ込んで患者全員を拘束して暗転で幕という仕掛けを創ったところ。これはビックリした。刮目だった。
 このシーンを創っただけでも今日観にきた甲斐があった。若い人たちが、こういうことを感じて新たに創り進めていくことを期待したいと思う。