しゃぼん玉

観劇日時/14.11.23. 13:40~14:40
上演集団名/NPO法人  わかち愛もせうし  

作・演出/渡辺貞之 
スタッフ・キャストの皆さんは、全員が当地・妹背牛町町民の皆さん。
作・演出の渡辺貞之氏と、メークアップを担当した山上佳代子さんは、深川市民劇団からの応援スタッフです。

会場名/妹背牛町民会館

演劇を道具に使った完成度の高い舞台

 この舞台を創ったのは人口3,248人(14年11月1日現在)の地方の小さな田舎町に住む人たちだ。この地でゆったりと生涯を楽しみ生きていく為には、同じ地域内に住む人たちの協力が絶対に必要である。最近では局地激震に遭った長野県北部で死者が皆無だったことが、その事実を証明している。
 特に高齢化して認知症の老人が増えている現状で、その理解を進めなければならないという意識、いわゆる互助の精神が、この「介護劇」というジャンルの舞台を創ったと思われる。
 つまり演劇という表現を利用した一種の広報・宣伝・啓蒙劇だ。それは必要だと思う。うまく使えば人の心が伝わるし、それによって演劇への関心が高まればそれに越したことはない。問題はその舞台の完成度だ。
 今までにもその系統の舞台は何度か観てきたが、これまでに最高の完成度を観たのは劇団「えるむの森」が上演した『あらしのよるに』だったが、これは原作の良さが大きな力を持っていて、それを完成度の高い舞台に創った功績が大きかった。
 今日の舞台の脚本は実に良く出来ていた。二つの家族の交流を通じて高齢化する人たちの行動が肯定的にユーモアたっぷりに描かれ会場の笑いが絶えない。
 そしてそこに「座敷童子=ざしきわらし」が出没する。座敷童子は純粋な子供にしか見えない。そして老人、特に認知症の老人にも見えるようになってゆく。座敷童子の男女二人の子役はほとんどしゃべらず、しゃぼん玉を吹きながらゆっくりと歩く。
 しゃぼん玉は儚く漂って一瞬の後には消え去る美しい幻想の存在だ。座敷童子も儚く漂って人間に見られた瞬間に消え去る幻想の存在だ。
 座敷童子とは、生活困難な古い時代に、いわゆる水子=出産直後に口減らしの為に水死させられた新生児が、この世に残した未練の魂だと伝承されているという解釈もある。
 この展開に児童相談所を出所したいわゆる問題児が老人ホームの車椅子の認知症老人の世話係となる。この少年は別居した両親の母と同居していたが、生活に困りまた母親を訪ねて来た父親のDVに怒って父親の足をバットで殴りつけ片足を折った罪だった。
 座敷童子の吹くしゃぼん玉に喜ぶ車椅子の老人、だがふてくされた少年には見えない。老人は禁断の酒を隠し飲む。少年は男の約束で口外しないことを誓う。だが、老人は酒の飲み過ぎで死ぬ。少年は悔悟の思いで泣き崩れると現れたのは舞台中を覆うようなシャボン玉に包まれた二人の座敷童子だった。
 場が転換すると、相変わらず認知症の男女の老人が20代に返ってトンチンカンな求婚問答をしていた。満場爆笑のうちに幕となった。
 さて問題は二つある。一つはダイアローグや台詞が無い時の出演者が生きていないこと。特に問答の最後の捨て台詞、たとえば「ありがとう」とか「さよなら」とかがないことだ。これは台本には書かれていないからだと思う。実際に舞台でやりとりしているうちに自然に出るはずの言葉だ。これがないから問答が生きてこないのだ。稽古中に足して行くべき言葉で、アマチュアの新作戯曲にはよくある傷だ。
 同じように気になったのは、たとえば車椅子老人の死を少年に告げたホーム長が空の車椅子とそれを見つめる少年の傍を去る時の挙動だ。なんとも中途半端でぎこちない。それらの台詞や動きが舞台を嘘にする。生きた人間が見えないのだ。
 次に、出を待つ出演者が袖幕の隙間から舞台の様子を窺っているのが丸見えなのだ。これもアマチュアでは良く見る風景だが、十分にチエックしないと雰囲気を壊す。
 以上2点の苦言を呈して、最近僕が感銘した、小田島雄志の「井上ひさしの劇ことば」(新日本出版社・刊)という著書の一節をご紹介します。
 
 =「せりふ」とは「芝居で、俳優が劇中の人物として述べることば」(広辞苑)である。私・小田島雄志は、それに加えて「劇中の別の人物が聞いたり答えたりすることば」でもあると付け加える。だが私(小田島雄志)が初めて井上ひさしの劇を見たとき、「せりふを聞いたりそれに答えたりするのは劇中の人物だけではなく、観客である私たちを含めて、だったのです」。
 つまり、台詞を聞いているうちにいつの間にか「うん」とか「馬鹿いうな」とか小腹を立てていたりしていたのです。観客をも巻き込むような力を持つ場合、それを「劇ことば」としてみました。=

 つまり、劇とは観客に現実として交流できることこそが本当の劇なのです。それには舞台の人物が生きていないとダメなんです。
 舞台で生きると言うことはどういう事なんでしょうか? この舞台はそういう事まで問いかけていました。