日本名作映画祭 今井正・作品連続上映会

鑑賞日時/14.11.8. 14.11.9.

劇場名/たきかわホール

映画1  また逢う日まで

1950年 制作/東宝 109分

悲恋反戦物語

 閉塞の時代に自由に生きている学生・三郎(=岡田英次)。生活の為に戦意高揚の絵画を描いているデザイナー・螢子(=久我美子)。空襲で避難した防空壕の狭い空間で、壁ドン? の出会い。
 三郎の召集で、最後のデートの日が三郎の義姉の急病で行き違い、ついに別れを言えないまま三郎は無念の出発をする。今じゃ携帯電話があるのに……
 互いに生きて再開することを願いながら、待ち焦がれた螢子は空襲で一時、行方不明になり、戦後、三郎はついに帰って来なかった。
 やっと会えた両親と義姉との四人は、三郎の部屋で螢子の描いた三郎の肖像画に静かに花を手向ける。
 平和で懐かしい光景の中でのメロドラマなのだが、戦争の虚しさと反人間性とを静かに告発する。現代の状況の中で、この過去の過ちをもう一度、確認しておくことも大いに意義がある。
 ガラス窓越しのキスのシーンが切なく、当時は一世を風靡した名場面だが、実は同じこの映画の中には普通のキスシーンがあったのはちょっと意外だった。

 三郎の父=滝沢修、兄=河野秋武、螢子の母=杉村春子、
 三郎の友人=芥川比呂志・大泉滉、近所の奥様=南美江、
 などなど懐かしい顔触れが並ぶ。

映画2  青い山脈

1949年 制作/藤本プロ・東宝

現在も繰り返す民主主義の原点

 戦後民主主義の原点が今でも続いている現象だ。例えば……
1)旧習にとらわれる権威主義に対する批判と戦い。
 女学校の理事会、理事長(=三島雅夫)・校長(=田中栄三)と、それにおもねる一部教員たち(=藤原釜足・他)と新しい考えの教員(=原節子)や学校医(=竜崎一郎)たちに感化される人たち、例えば芸者・梅太郎(=木暮実千代)。
 ラブレターの「恋しい恋しい」を「変しい変しい」と書く学力低下のギャグは、現在で言えば流行語大賞のような有名なエピソード。

2)行動的な新子(=杉葉子)を誹謗するが、孤立して非を悟る松山(=山本和子)たち若い世代の純粋。

3)行動力を揶揄するヤクザ者たちに無抵抗主義で向かうガンチャン(=伊豆肇)。
 これらのエピソードは、現代にも通じるというか、むしろ現代そのものだ。
 その他の主な出演者。学生(=池部良)・女学生(=若山セツ子)。

 僕らの世代にはもっとも根強く懐かしい主題歌の『青い山脈』は、その後『高校三年生』が爆発的に流行するまでは、同窓会などで歌われる同時代の人たちの愛唱歌だが、この映画の実際の主題歌は『恋のアマリリス』で、グッとセンチメンタルだ。そしてラストシーンに一回だけ出てくる『青い山脈』が、この物語の明るい未来を象徴する、まさに主題と心情を強烈に表している。
 今、偶然に付けっぱなしのTVが、何故か自転車で走る群像を映しているが、バックにはまったく関係が無いのに、『青い山脈』のメロディが流れている。これは正しく映画『青い山脈』のラストシーンで、70年も経って未だに延々と脈絡を保っているようなのだ。

映画3  真昼の暗黒

1956年 制作/現代プロダクション

現代にも通じる冤罪事件

 1945年以後の日本の世相にも大きな影響を与えた根源とも言える、当時の世相を反映した物語。
 経済的にも混乱した時代、収入もままならない若い男たち、その一人が身持ちを崩しておそるおそる強盗を企てる。おっかなびっくりだが、いざ実行すると意外に落ち着いて老夫婦を殺害し、多額の金品を強奪する。
 それからは警察の見込み捜査と言語を絶する拷問とによって彼は嘘の自白をせざるを得ない。彼の虚偽の自白によって彼の友人4人が共犯者として検挙される。
 それからは続けてまたも言語を絶する都合の良い取り調べと拷問とによって無実の4人が裁判に掛けられる。主犯にされた植村(=草薙幸二郎)が「まだ最高裁があるぞ」と叫ぶラストシーンが強烈に印象的だった。
 真犯人役は松山照夫で、当時NHKの超人気連続ドラマ『事件記者』の熱血記者ガンチャン役で全国的人気のあった山田吾一と、この松山照夫の二人は深川西高校出身で僕の2年先輩で、こういう先輩を大いに誇りに思ったものだ。

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 60年以上も前のこの3本の映画が、確実に現代に繋がっていることを確認する。