カラクリヌード

観劇日時/14.5.4.  18:00~20:00
劇団名/札幌ハムプロジェクト
公演形態/全体興行2014

脚本・演出/すがの公 楽曲提供/SE-ON
照明/岩ヲ脩一 舞台監督/米沢春花 
舞台美術・フライヤーイラスト/すがの公
宣伝美術/井嶋マキ子
制作・企画/ハムプロジェクト
出演/長流3平・金子綾香・原田充子・有田哲・
天野ジロ・彦素由幸・古崎瑛美・高橋雲・
渡辺友加里・木山正太・傍島史紀・
竹屋光浩・中江聡
劇場名/コンカリーニョ

絡繰り=機械仕掛けの人形と、ヌード=生きている人間

11年1月に上演された、この「カラクリヌード」を観ている。その感想の要点を抜粋する。

 ☆

登場人物が左右の舞台脇に佇んで開幕を待つ。それはまるで芝居の始まりを待つ、心を持たない登場人物である人形のようでもあった。彼ら彼女たちはアンドロイドなのだ。深さ六千メートルの地下で軍需用の特殊鉱物資源を掘削するための、肉体の60%はクローン人間であり、後の40%は鋼鉄製の人造人間なのだ。
地上六千メートルの高層ビルの最高階には、特権階級である本物の人間たちがいる。
人間の心に目覚めつつある人造人間たちは、恋をし嫉妬をし反抗する心を持ち始める。だが所詮、人間の道具として造られたアンドロイドでしかない。静かにその物体としての生命を閉じていく。
これは人間と人造人間との物語でありながら、人間社会の階級や格差を象徴している話とも受け取れる。だがこの舞台の主眼は、おそらくその表現方法にあると思われる。
様式化された衣装と演技、何もない黒いだけの空間、シュプレヒコールのような合唱は絶叫であり、そのほとんどの意味内容は聞き取れない。対照的に人間の心を持っていきつつあるロボットたちと人間とのウエットな対話、そして個性を消し去るように彩られた顔面の彩色、総じて新しい表現を目指しながら、分かりにくい形の物語を語っているに過ぎない舞台になった。だが何かを求める冒険は貴重であり、そこへ集う若い大勢の新人たちの何かを求める強い心は大いに共感するのであった。
ラストシーンは全員が固まって、何かをシュプレヒコールのように絶叫するので、具体的に何を叫んでいるのかは分からない。
だが、最終的には全滅するらしく崩れ落ち転倒して動かなくなる。最後に静かに起きあがった一人の人間が「幸せはある、神は居る。ただ何処に居るのか分からないだけだ」と呟く。
一人の女のロボットが多分、携帯電話を象徴する小さなペンライトを静かに振って、「ハロー、ハロー」と呼びかけると周りに座り込んだ全員が、やはり同じような小さなペンライトを振りながら「ハロー、ハロー」と呼応する。
全体の話の流れと、個々のエピソードとが必ずしもフイットしていないような感じもするが、それはあまり気にすることでもないのかもしれない。要は役者たちの存在を肉体が表現する一つの実験でもあるかもしれないのだから……「カラクリヌード」というタイトルがおそらくその肉体性に拘る意図を表しているらしいのだから。
全編に流れるギター弾き語りのフオーク調の音楽と共にいささかロマンチックな仕上がりだったが、若い冒険に充ちた熱演は好感が持てたのだった。(続・観劇片々第32号所載)

 ☆

今回を観て、ほとんど感想は変わらない。カラクリとは人造人間の象徴だろうしヌードとは生きている人間そのものと考えられる。その葛藤劇だし、チャペックの『万能ロボット会社』とほとんど同じような感じがするが、全体に対立が図式的で単純だし、その割にははっきりとせず、曖昧で分かりにくい。