演 目
ピープー
観劇日時/13.10.26. 19:00〜20:40
劇団名/演劇ユニット・シアターラボ深川
公演形態/北海道舞台塾シアターラボ
脚本/野原綾華 演出/菊地清大 ドラマドクター/納谷真大
舞台スタッフ/盛本和志・宗方憲一 音響/助安正樹
照明/上村範康・宮田哲自
劇場名/深川市文化交流ホール み・らい
二回目の観劇・日時/13.12.9. 19:00〜20:40
劇場名/札幌琴似パトス
舞台監督/上田知 舞台スタッフ/盛本和志・宗方恵一 照明/上村範康

欠点だらけの人間たちをシュールな表現で観客と一体化させる

 ある家族の情景、長女が結婚するにあたっての、アレコレ。
 あるホテルの情景、先輩OLと後輩OL・新人OLの、アレコレ。
 あるオタクらの情景、アイドルのために東京ドームに並ぶ男たちの、アレコレ。
 以上は当日パンフに書いてある物語であるが、正にこの通りであり、それ以上でもそれ以下でもない。
 ただ表現法がとてもユニークである。まず三つの物語の進行が入り乱れて時系列がバラバラだったり一人二役だったり二人一役だったりする、とこれも当日パンフに書いてあり、これも全くその通りで素直に観ていると混乱する。
 特にある役の人物が、いつの間にか別の人物になっていたりするから、意識的に観ていないとダメだ。さらに同一人物を二人の俳優が同時に出て二人で演じたり、一人の人物をいつの間にか別の俳優が演じていたりする。
 でもこれは面白い実験だと思う。つまりある人物の思いや考え、躊躇や逡巡、後悔、などなど主にマイナスの考えや行動などが、誰の心にも共通して存在することの一種の表現方法だとすれば、思い切った新しい表現だと思うのだ。
 聞くところによれば、この脚本はこの舞台塾に参加した人たちが個々に提供した個人的な生活のエピソードを三つ選び、それを構成したそうだから、初めからこのような意図で書かれた訳ではないのだろう。
 だが、それを逆手に取って、こういう構成にしたところがシユールな表現の魅力となった。
 失敗ばかりで欠点だらけの人間たちの物語を、静かに滑稽に、しつこい位に繰り返し繰り返し描かれる三つのエピソード、それが最終的に人間味のある心遣いの暖かさを予感させて幕が降りてゆく。
 出演は、オタク男と母親=菊地清大/長女とホテルフロント=野原綾華/オタク男と母親=佐藤自真/妹とホテルフロント=中嶋彩華(札幌では急病のため生水絵理が代演)/オタク男とホテルフロントの後輩に振られた取引業者=吉田雄飛/妹とホテルフロントの新人=小川千里。その他の様々な役を交換して演じ、さらに舞台上での着替え衣装の介添えを全員が黒子姿で行う。
 母親が次の瞬間にオタク男に変わった場合などにタオルで口紅を拭き取る場面で、相棒が「何をしている?」と聞くと「行列に2日間も並んで風呂にも入れないから拭いている」などというギャグ、オタク男が「行列に割って入った客を殴り倒してやる」と鮮やかな空手の型を示して意気込むのを「お前は空手の選手だから空手を凶器に使ってはいけない」と諭すのは、この役者が現実の空手の全国大会出場選手だと知っている観客にとっては一種のギャグであり、ちょっと面白い。
 この舞台は2年間に亘ってドラマドクターが指導して今年の3月のプレ試演を経て最終作品に至ったのだが、試演作と基本的に変わった訳じゃないけれど、洗練されて表現力も上達して無駄な演技がほとんどなくなり見応えのある舞台になっていたと思う。ただ、同じシーンが何度も繰り返されるのが少々くどく感じられた。意識的な繰り返しだろうが、少々無駄な感じだ。
 第二ステージを札幌で観た。基本的には何も変わっていない。狭いパトスのフリースペース空間だが、ステージが横長に広がって客席数もぐんと減り、客席との距離が近くなった分、緊密度が高くなったが、それは逆に緻密な演技が要求されるのだが、破綻は少なかったと思う。
 ただ舞台を横長に設えたために演技エリアが広がり過ぎて、上手下手の客席では随分と観づらくなったようだ。
急病で代演した生水絵理もそっくりそのまま中嶋彩華を受け継いだようで違和感は全くないと同時に新鮮な驚きもない。わずかな期間で代演したわけだから、これで十二分であろう。やはり同じシーンの繰り返しには正直、飽きる。