演 目
農業少女
観劇日時/13.10.5. 14:00〜15:40
劇団名/北翔舞台芸術2年目試演会
作/野田秀樹 演出/茎津湖乃美 舞台監督/田中亜希美
音響/村島優香・我妻佳奈 照明/倉田麻奈・中島治貴
制作/小川麻美子 宣伝写真/竹中沙耶果 宣伝美術/女池翔子 協力/渋谷理恵
教員/森一生・村松幹男・田光子・平井伸之・森井綾
劇場名/北翔大学カレッジホール PAL6階

少女の青春と現実社会の関

 九州の農村に育った少女・モモコ(=女池翔子)は、家族や身の回りの高齢者たちの日常をみて、いずれは自分もこんな人間になってしまうんだろうなという未来に絶望し、都会に憧れる。「農業と東京とはノとトの違いだけで、ほとんど同じ言葉じゃないか」という根拠のない理由をつけて……
 何の保証も計画もなく、たまたま乗車した電車に漫然と乗り過ごして終着の広島に着いたとき、すぐ傍にいた中年の男(=湊谷優)が東京までの乗り越し料金を払ってくれて、偶然に東京へ行くことになる。
 その男は少女に対するたまたまの気まぐれの善意だったが、モモコは東京に着くと、女衒のような集団(=男・児玉大樹/=女・岡田萌)によって風俗営業のタマになって暮らす。
 最初、彼女の上京を助けた男と、女衒の集団とのピストルの応酬の対決はリアリテ
イが薄いが、これは原作の指定なのだろうか?
 その後、この女衒は風俗営業に見切りをつけ、ボランテイァの有機農業経営に乗り出す。ボランテイァの農業が実際にどれだけ儲かるものかは信じられないが、これは現実のことではなく、ある社会現象の一つの象徴なのであろう。
 様々な葛藤があって、少女は有機無農薬農業を信じ、故郷へ帰り、広めようとするが、思ったことはあくまでも幻想でしかない。
 娘を信じた父親と、最初に少女を偶然に手助けした中年男、そして女衒の男女は何とか彼女の実行力を巧く使いこなそうとして大論争の末、両者絶滅する。少女は耳が聞こえなくなって何が何だか分からない内にすべては終わってしまう。
 少女モモコ以外は全ての人物を他の3人が早変わりで演じるが、4人とも普通のカジュアルな衣装なので、観客が想像するだけだ。
 こういう舞台を4人だけでしかも体育館のようなガランとした大きな空間のほんの一部だけを使って、幅3メートル長さ6メートル位の空間を舞台にし、その長辺の両側に合わせて40席の客席という贅沢な設定だ。
 中央に鉄道の線路が描かれ、客車の座席をイメージしたキャスターの付いた箱が出入りして田舎の少女の都会志向を際だたせる。さらに田圃の場面では苗に見立てた携帯電話を並べて参加者たちの申し込みを表現したり、故郷に帰ってからは、細長い花瓶のような物に穂をイメージした苗を線路に沿って植えたりするのだが、この苗は鉱物性物質で出来ていて若々しい生命の輝きが感じられない。戯曲の指定がそうなのか? 演出なのか? 自然の存在すべてを人工物に置き換えた意図は何か?
 若い学生たちが創った自画像のような舞台だったが、児玉大樹の演技が少しオーバーアクションで台詞の訴求力とリアリティが弱いのが気になった。