演 目
君の名は
観劇日時/13.7.25. 19:00〜20:50
劇団名/どくんご
公演回数/第二十七番
構成・演出/どいの 美術・衣装・人形/五月 木工/健太
制作/黄色い複素平面社・時折旬・ワタナベヨヲコ・まほ・空葉景朗
出演/暗悪健太・五月うか・2B・石田みや・どいの・ほか
劇場名/旭川 神楽岡公園 自由広場 特設犬小屋<eント劇場
二回目/13.8.14. 19:00〜20:50 留萌市 留萌神社境内

対人不信の現代人

 お馴染み特異な野外劇団『どくんご』である。旭川は初めての土地、観客動員が心配されて、たった1日の上演だったが、北海道第2の都市で、今日観なかった人は損したと断言できる。そのくらい良い舞台だった。
 もちろん通常の演劇ではない。むしろ脈絡のない短編演劇の連作のような作品だし、その一つ一つが、普通の短編演劇じゃない。コントとも違う。異常としか言いようのない説明出来ない不思議な舞台だ。
 4b四方くらいの裸舞台の後景に吊り下げられた布製のカーテンのような物に描かれた様々な景色が次々に繰り出されて、その前で、様々な演技が展開される。
それは、特別に何かを象徴しているようにも見えない。だが脈絡のないそのソロ・コンサートのような一人芝居の連続は、何かを訴えているような、何かを探して彷徨っているようなのだが、それが何かは分からない。一つ一つが違っていて、しかも共通点もあるような気もする。
例えば、落語『粗忽長屋』をアレンジして、「ここに死んでいるのは確かに自分だが、だが、そうするとこのオレは一体、誰だろう?」という自己喪失の現代人を自嘲する風景とか、頭上にもう一つの頭部を載せて、その下部をふんわりとした衣装で包み、異常に背の高い男と普通の女性の出会いが、つまり「君の名は」となる対人不信症など、この異常男は背景が無くなると、テントの外に出て、失った何ものかを探すように、遥か遠景に遠去かって淡い照明の中に儚く消えて行く、哀愁の光景だ。これは昨年の嵩足の異常女と似た設定で、その前年の火吹き女とか、見世物の魅力が満載だ。
 つまり一つ一つの出し物の内容は良く分からないのだが、何か粒が揃っていて見飽きがしない面白さが充満している。この劇団も飲食自由だから、旭川では僕も盛んに飲みながら観ていたのだが、留萌の今夜はこの時期に珍しく、しかも今年の暑い夏には残念ながら涼し過ぎて尿意を堪えながらだったが、中々席を外すキッカケが見えないほど緊密な空間だった。だから再見の留萌では全く一切の飲食もしなかった。真剣に観たのだ。
 最後に近く、全員が出て、「ヨシオさん」という人をマイナス評価しながら詮索するのだが、結局は「ヨシオさん」を探すと思われるシーンが延々と繰り広げられた。
それは、実際に具体的に探すのではなく、探すという行為を抽象的に象徴的に一種の集団ダンスのようなパフォーマンスのような感じだ。つまり、これが「君の名は」であり、全体を通して、人との繋がりを模索する様々な形を表現したと言えよう。
 表現方法が磨かれて進化したと同時に、強固なメッセージ性の感じられる印象の強い良い舞台であった。