演 目
死神べぃびーず
観劇日時/13.7.20. 14:00〜15:50
主催/『死神べいびーず』公演実行委員会
作・演出/菊池拓帆 プロデューサー/国分一央
演出部ディレクター・舞台監督/西野輝明 
舞台美術/高田久男 照明/鈴木静悟 音響/福岡博美 音楽/八幡浩暢
小道具製作/MASA工房 衣装/奈々葉 
演出補/庄田拓矢・佐々木彩・大島健太朗・ペコニシ
劇中歌歌唱/篤永亜子・篤永亜未・丸山琴瀬
制作部ディレクター/奈々葉 
制作/野嶽智美・小島翼斗・寺舘ひかる・武井円・篤永亜未
グラフイックデザイン/簔口生巨
ダンス協力/MITU・SHIOMI
その他スタッフ多数
劇場名/コンカリーニョ

人を愛することを止めざるを得ないことの哀切

 死神の話だけど物語はリアルだ。ある人間に死の宣告をする役目の本当の死神になる前に修業として、ある人間に愛する人を諦めさせるようにさせる仕事をする。そしてその仕事が成功した時に修業者は本当の死神になることが出来る。その課程の話である。
 人が愛する人を諦めさせることがどんなに残酷で難しく非人道的なことなのかを描くのだろう。意図は面白い。イタリアの歌劇から翻案したといわれる落語の「死神」は、死を逃れようとした男が、寿命を表す蝋燭の炎を他人のものとすり替えようとして失敗する話だが、これはその前段階の話で、いわば「死神」物語のプロローグだ。
 僕は落語が好きだから、この噺もよく知っているせいか、そもそもこの男が死神の修業にきたという発端がうまく飲み込めない。
 話が進むにつれて、お笑い芸人の一人が、その修業者(=SE-YA)であるらしいことが分かったが、なぜ修業しているのかが理解できない。
 この芸人ともう一人の芸人(=菊池拓帆)と一人の女性教師(=木村愛里)との三角関係からの逃避が、その原因らしいと推測されるのだが、その理由と根拠の提示が不明瞭で話に付いて行きにくい。
 恐らく纏めるとこういう話だと思われるのだが、女教師と教え子や、対立する死神とその修業者やストリート・ダンサーのグループやら本筋と関係の薄い狭雑物語が複雑で分かりにくい。
 最後は死んだ相棒を悼みながら残った片割れの芸人と一緒になった女教師は妊娠する。この子は死神によって死んだ芸人の魂を入れられたというのがオチである。
 本筋の展開は面白いのだから、そこに絞って「人を愛することの切なさと脆さ」そこに気づく芸人の哀切などを中心に描いた方が良かったのではないかと思う。
 小学生を含めた観劇ビジターのような人たちが満員の観客の大部分を占めていて、この人たちが熱心に真面目に観ていたのが印象的であった。
 もう一つ、最初修業する芸人が「クボタ」と呼ばれるのでプログラムを探したのだ「クボタ」名の出演者は出ていない。後半になって、それが奏(カナデ)役の芸人の相棒だと気が付くのだが不親切じゃないだろうか。不愉快だ。
 劇団というかタレント養成所というか「フルーツバスケット」の卒業生のグループらしい。だから、この観客層だったのか。
 出演。菊地拓帆・木村愛里・SE-YA・u-dai・鹿島良太・YASU・山崎大昇・
小山百代・野杉音輝・河部愛・杉渕菜々。