演 目
最後の授業
観劇日時/13.7.14. 19:30〜21:00
劇団名/弘前劇場
公演形態/2013札幌公演
作・演出/長谷川孝治 舞台監督/平塚麻似子
照明/中村昭一郎 音響/国柄絵里子 舞台美術/高橋淳 宣伝美術/山口潤 
制作/弘前劇場
劇場名/シアターZOO

日常の中の奇妙な本質

 東北地方のある私立高校、3年東側職員室。東側というのは恐らくメインの職員室ではなく職員の準備室兼休憩室という部屋であるらしい。でも狭いけど職員室の雰囲気はある。
 夏の朝、今日は系列の大学の准教授として栄転する真下堅持(=藤島和宏)の最後の授業日だ。後任の元・大学教授・笠原克也(=高橋淳)は、何か女性問題があったらしいが、まだ50代の若さだ。
 この小さな教員室に出入りする教員は、園芸の好きな数学教諭・滝田洌(=田邉克彦)、体育の佐伯義昭(=林久志)、養護教諭・若井さな子(=小笠原真理子)、そして教育実習生・牧枝ふみと沖中美布(=寺澤京香・佐藤真喜子)、それに馴染みの地元新聞記者・安藤昇(=永井浩仁)も実習生や新任の教諭の取材で訪れる。
 登場人物を細かく紹介したのは、登場する8人のリアルな日常の会話が、この舞台のすべてであり本質だからだ。
 その他にも、笠原の祖父でこの学園の創立者であり教育者であった人や、ちょうど今朝、登校拒否の生徒が両親ではなく祖母と来校して養護教諭の若井や副担任の真下、実習生たちが右往左往するシーンも繰り返される。
 つまりこの舞台は、そういう日常の大勢の人たちの会話の中から、日本の現実と将来のあり方までをも炙り出していくのだ。
 実習生が、「日本という国が無くなってしまうような気がする。この大地も空も自然もそのままだけど、日本がなくなるって、どういうことだろう。不安なようなサッパリするような変な気分」という述懐がある。台詞はこの通りじゃなく、僕が聞いた感じだ。
何だか今日の午後に観た『生きてるものはいないのか』の別バージョンのような感じもする。
 最初、この舞台の時期は11年3月の前だと思っていたが、ラストに近く、テーブルが立ち上がってその上面がスクリーンとなり、人影のない日常の景色がモノクロで次々と映し出され、変にテンションの高い奇妙な音楽が強烈に流されると、虚無的で拒否的な感情が起きてくるころ、画面に赤い小さな花が咲き乱れる光景が眩しいくらいのカラーで写しだされる……
 その画面が終わると、セミの鳴き声の充満する夏の夕方の職員室に、農作業を終えた滝田と佐伯の二人がのんびりと休憩にやってきて、冷たい麦茶を思いっきり飲み干して静かに幕が下りる。