DVD
ひとり芝居 八重のものがたり
鑑賞日/13.6.24. 22:00〜23:40
原作/水上勉『飢餓海峡』 脚色/瀬野優二 演出/鈴木喜三夫
舞台監督/戸塚直人 舞台監督助手/櫻井健作 照明/鈴木静吾
音響効果/西野輝明・佐々木雅康 ヘアメイク/瀬野弘美 衣装/瀬野弘美・山田洋子 記録撮影/高橋邦男
協力/岩内市民劇場・「座・れら」
出演/辻美佳・瀬野優二・小山由美子 歌い手/玉川寿子
劇場名/岩内町・荒井記念美術館

かつて観た『飢餓海峡』と……

 岩内市民劇場が上演した『飢餓海峡』の初演舞台を地元の岩内で観劇、その後、原作者の出身地・福井県若狭で上演した後の05年10月に札幌の道新ホールでの再演も観劇した。
その時の感想の一部をご紹介すると、
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 ……八重(=辻美佳)が登場し、犬飼多吉こと樽見京一郎(=小林大介)が絡んでくると舞台は急速に緊張してくる。純粋な八重、ただひたすらにイノセントな八重はそのイノセントのゆえに嘘を吐かざるを得ない。哀しい切ない嘘だ。ただ一つの己の信じるところを守り抜くための嘘だ。この八重のひたむきさだけがこの舞台を貫く。
 この八重のこの嘘を守り通す純粋さがこの芝居のポイントではないのか? とさえ思われたのだ。おそらくこの飢餓海峡という物語は、この八重の人間描写の文学性にその存在価値があるのではないのか? と思われる。
 とすればそれが演劇として観客に与えるものとは何であろうか? 多分、いわゆる商業演劇といわれる舞台や、他にもそういう舞台はたくさんあるんだろうが、そのような舞台に少なくとも僕は、いちいち感動はしない。一種の予定調和として冷めた目で見てしまうからだろう。規定のこととして、ああ、そうなんだと観念的に分析し、了解して右から左へと整理して頭の中へとしまいこんでしまう。涙も出ない。
 だが、今日は不覚にも涙が出た。それは八重の生き方に対する清い涙であると同時に、この舞台を創った、ひたすらに無償の行為を成し遂げる劇団員たちのエネルギーに対してであろうか。
 八重にしろ樽見も弓坂もその他の役者たちはもちろん、裏方も含めてすべての創造者たちの、八重や樽見や弓坂やその他の人たちの人生に想いを懸けたその執念に涙を流したのではなかったのか……
 登場人物たちはTVや映画や舞台で見慣れた俳優さんたちではない。いわば本当にその人たちそのものであるという存在感、演技の上手い下手を超えたその本人その人であるという実在感。そのことに感動したのではないのか? そこには感情過多になった僕が居たのも確かだ。
 それに比べて八重のひたむきな明るさに抱きしめてやりたいような共感を持つ。もしかするとこれが、八重のひたむきな明るさが、この舞台を観た最大の収穫であり、演劇の魅力の原点なのかもしれない。
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 さて今回、この『飢餓海峡』を創った人たちの中の主演の辻美佳さん、演出の鈴木喜三夫さん、そして脚本の瀬野優二さんの3方が中心となって、主人公・八重の一人芝居『八重のものがたり』を上演した。札幌と地元の岩内で合計3ステージが上演されたのだが僕はどちらも都合が悪くて観ることが出来なかった。それを知ったこの瀬野優二さんが、わざわざ記録のDVDを送って下さったのだ。さっそく拝見する。
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 開幕劈頭、杉戸八重を演じる辻美佳さん(本編と同じ俳優さん)の甲高い可憐で一途な少女のような声に、往時の物語が急激に蘇ってくるような印象に惹きつけられた。そして嵐の音響……
 娼婦といういわば手練手管の職業に従事しているのに、ひたすらひたむきに突き進む八重の純情さ、演劇的には緩急があるのが常識なんだろうけど、この物語は八重の存在価値、訛りの強い台詞が切なく魅力的に聞こえる。
 普通、間のないせっかちな演技展開は演劇として説明的になると感じるのだが、八重の場合それが逆に八重の心情として、演出なのか演技なのか観客の心に迫ってくる。
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 つまり僕にとって、この『飢餓海峡』という物語は、八重の物語なのだった。原作は膨大だから、弓坂吉太郎警部補や樽見京一郎など重要な人物が多数出没するのだが、僕にとっては、この舞台を通して八重ただ一人の舞台なのだった。