演 目
キミにとっての一秒が彼にとっての一秒とは限らない
観劇日時/13.5.12. 16:00〜17:40
劇団名/劇団・アトリエ
上演回数/プロブレム作品3
作・演出・宣伝美術/小佐部明広 照明/増田好乃美 制作/細谷史奈
劇場名/シアターZOO

交わらない心情の断面図

 黒いビニールのゴミ袋が散乱する居間らしき場所、開演前から延々と、卓袱台に向かって一人の男が一心不乱に、または退屈そうに手持ちぶさたに、とも見えるように携帯電話でメールを打っている。
 同居者と思える女性が現れて日常の会話が始まるのだが、彼女が一旦キッチンに消えて次に現れると彼女は別の女性になっている。だが話は何の屈託もなく、さっきの話の続きになっていてお互いに不自然さは感じられない。 
だが話の内容ではなく、話の仕方というのか、お互いの会話の流れ方とでもいうのが、実に不自然なのだ。いかにも人工的というか、リアリティがあるように見えながら造られている感じが強く、その在り方には反発すると同時に、その作為性に退屈する。
 男の兄が登場するのだが、この男も、兄も、もちろん女も次々と違う人物が入れ変わるから観ている方は混乱する。
 何があったのか何が起こったのか呆然とするうちに進行は突然に終わって男が相変わらず卓袱台に向かって延々と携帯電話かタブレットかで誰かにメール連絡を打っているシーンで、この話に関係のない関係者が出てきて、終演を告げて、観客は我に返るという設定だ。
 舞台の設定は卓袱台があって、男たちは寝そべったり胡座をかいたりするから多分畳敷きの和室だろうって思うのだが、男も女も靴を履いたままなのは何をイメージしているのだろうか?
 それと舞台下手の後方に、幾つかの大小のダンボールで造られた天井に届くような塔のような建造物は何を意味しているのだろうか?
 物語は、単に行き違いの重苦しさを表現しようとしているようにしか思えないのに、そういう造りがあると何かを考えざるを得ない。
 互いの見方の違いが人間関係を崩壊させるという悲観論を提出し、世界の多角的な見方を考える思考を提供する演劇なのかなとは思うけれども、あまりにも観念的で退屈先行だ。
 だが一人の人物が次々と入れ替わって同じ人物を演じるという設定は、現実の怖さと期待とを象徴して如何にも演劇の表現として存在価値があると思われる。
 ここに、どんなエンターテインメントな付加価値をつけられるのかだ。僕は時々居眠りをしてたが舞台の状況は余り変わってはいなかった。始めに観た印象が1時間半過ぎても変わっていないのだ……でも、これは悪いことではない……一種の実験だろうか、そこに期待したい。
 出演者。小山佳祐・柴田知佳・伊達昌俊・有田哲・りよっぺ・佐藤愛梨・ビルタテル