演 目
螺鈿の宝石箱
観劇日時/13.5.8. 20:00〜21:13
劇団名/シアター・ラグ・203
上演形態/水曜劇場
作・演出/村松幹男
音楽/今井大蛇丸 音響オペ/湯澤美寿々 照明オペ/平井伸之
宣伝美術/久保田さゆり

孤独と倦怠と新しい心境への抒情詩

 初日を観てからいろいろと考えていた。やはり一人芝居の変形だろうという点は変わらない。
演劇とは人間同士や人間と社会の葛藤を表現することという僕の規定から考えると、この舞台はAとBという二人の女性の葛藤を表現した物語とは考えにくいのだが、今日の舞台を再見して、やはりその感を深くした。
まず写真に写らない女・A(=久保田さゆり)は、女・B(=瀬戸睦代)の心の中にいる、つまり女・Bのもう一面の心の在り様であり、実在しないということの証明ではないか。女・Aとは、女・Bという一人の女の心の中の葛藤と矛盾と、切ない自己肯定というもう一つの心の表現ではないのかと思う。
 ラストで時を刻むのを止めた時計を、横倒しにするのは、女・Bの未来の時間に余裕と希望を託す心境ではないのか。
 女・Aに託した螺鈿の宝石箱とは、過去を大事にして歩む決意の心境であり、このとき彼の来訪を告げるチャイムの音は新しい未来への出発の合図だ。
劇的な葛藤は起こらないけど、一人の女・Bの人生のひと時を覗くような、一人芝居で表現した女・Bの心の中の葛藤であろう。
 それを見詰める背景の黒幕の奥に浮かび上がるラストシーンの女・Aは、新しい人生に旅立つ女・Bの、もう一つの心の内部を表していると思われる。