演 目
腐 食
観劇日時/13.3.13. 20:00〜21:00
劇団名/Theater・ラグ・203
作・演出/村松幹男 音楽/今井大蛇丸 音響オペ/瀬戸睦代 照明オペ/田中玲珠枝
宣伝美術/久保田さゆり
劇場名/ラグリグラ劇場

『腐食』観劇の歴史

 『腐食』を始めて観たのは03年7月で出演は鈴木亮介であった。初演は01年だがそれは残念ながら観ていない。僕が観たのは、調べてみると今回が10年間で8回目とは、意外にも思ったよりも少なかったのにちょっと驚く。
 その初見の感想の要点は、「物語の背景に広がりを」と題して、
「冒頭で殺人犯が妻扼殺の動機を告白する部分で、社会主義リアリズム的背景を説明すると、この話の全体がそういう一定の枠組みの中に収まってしまい矮小化されてしまう。この具体的動機の説明はない方がこの男の謎めいた「腐食」の心情を感じさせて、広がりが出てくると思う。」(後略)とあった。
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 2回目は07年1月で田村一樹の出演。感想の要旨は、
「(前略)心の腐食した人間の命を早めるのに何の咎があろうか? という心境。人間はいずれ肉体が徐々に腐食する。精神だって然りだ。(略)いずれ腐食して滅亡する人間の、それも存在価値のない人間の腐食に手を貸すのがなぜ悪い?
 アンモラルを強調し正当化し、それが虚無に替わっていくころ、それを逆転して人間の尊厳にすり代えようとしていく。ラスト、刑場へ向かう彼の最後の言葉は「俺は許されるんだろうか?」(後略)そして、その後で、僕のいわゆる「一人芝居」の定義について延々と叙述をしている。
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 さて3回目は同じく07年7月で鈴木亮介の再出演である。一人芝居の方法の変化を論じて「この手法を取ったことがこの戯曲の内面を深く耕すことに大きく貢献したと思われる。」と評している。そして1回目2回目の要点を再評価して、最後に「この人物の殺人にのめり込んでいく精神的葛藤、心理の裏表がよく表現されて、感情移入がストレートにできたことが大きい。つまり一人の男の劇的真実が演劇として強く伝わったのである。僕の一人芝居に対する偏見を打ち破るほどの衝撃的体験であった。この男の単純ではない人間性が、たった一人の役者の演技で戯曲の隠された内面を表現し得た演劇の醍醐味を味わった感動は素晴らしいことであった。」と結んでいる。
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 4回目は08年3月で村松幹男、作者本人の出演である。
「この芝居、三人の役者の出演で、つまり同じ戯曲の同じ芝居を、三人三様の表現で観ているわけだ。その都度、僕はこの芝居の本質を見極めてはいないのではないのか? という焦慮に苛まれる。なかなか一筋縄では捉えられない深さを持っているという感じがしてくるのだ。
 初めのころは、それを主に表現技術の問題として捉えた。一人芝居の表現方法だ。
 一人芝居の中でも表現力がやや弱いと僕が規定した、自分の主観だけを一方的に述べるだけの第一の方法論で演じた、今回の村松自身の演技が最も強く、しかもこの戯曲の本質を捉えて印象が強いと感じられるのである。
 妻の裏切りを知って即時、殺してしまった平凡な銀行員は、進行する精神の腐食の終わりを早めてやるだけだから、別に罪ではない、という論理で殺人を重ねる。一線を越えることによって自分の精神も解放され、次第に殺人の快感から逃れられなくもなる。
 人間が生きているということは同時に精神が腐食していく、ということの意味の解釈、この死刑囚が処刑寸前に「オレは許されるんだろうか」という逆転思考……
 やっぱり僕はこの深さに迫りきれない焦りを観るたびに強く募らせるのだ。凄い芝居だと思わざるを得ないし、何度も観たくなる芝居なのだ。」
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 そして5回目は08年4月、同じく村松幹男の出演。
その時の全文。
 男が激高してくると、その眼が爛々と光り、やがて狂気になっていく不気味な様相がはっきりと認められたのは、これまで何度か観たこの同じ芝居で、多分初めて感じられたような気がする。
 終盤に近く「俺の魂はすでに腐っているのか?」、そして最後に「俺は許されるのだろうか?」という問い掛けに至る、男の心境の揺れがすでに始まって、自信を喪失させていく過程の重要な表情であり、それは一つの救いでもあろうか?
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6回目09年7月、柳川友希の出演。
柳川友希は今回、丸刈りの頭で出てきた。照明が入ると浮かび上がる独房の死刑囚が、黒い上下の囚人服に丸刈りのスタイルで相当な迫力とリアリティがある。柳川は口跡も良く、メリハリも効いてこの男の存在感をよく表現していたと思う。千秋楽に相応しい力演であった。(略)
ラストの、「俺は許される……(長い空白があって)だろうか?」と振り返って問いかける台詞に、また粛然とならざるを得ない重さがある。
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 7回目、10年3月で柳川友希の再出演。「完成度の高いレパートリィ・システム」と銘打って、3演目を迎えて、柳川友希はますます完成度を高めた。間(ま)をたっぷり取るのだが、その間が死んだ間ではない。自分の内心での葛藤の時間がその間になっている。余り早く終わったような気がしたので、終演後上演時間を聞いたのだが通常より6分も長かったそうだ。
 「死にたくない、俺は救われただろうか?」というラストの台詞に真実味が濃い。」と全文で高い評価をしている。
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 今回は丸3年ぶりで、ずいぶん久しぶりの気もするのだが、やはり切り札、村松幹男の出演で、これまで鈴木亮介・田村一樹・柳川友希と続いた『腐食』の集大成とも言える佳作である。
 そもそも僕は、一人芝居は手抜きの感じがして、それは悪しき先入観かも知れないが、演劇として好きではないのだが今回の舞台を観てやはり『腐食』は名作の一つであろうと思わざるを得ないのだった。