演 目
春の夜想曲(ノクターン) 〜菖蒲池の団欒〜
観劇日時/12.2.9. 14:00〜15:50
劇団名/札幌座
作・演出・音楽/斎藤歩
照明プラン/熊倉英記 照明オペレーター/齋藤由衣
音響オペレーター/立川佳吾 撮影協力/高橋克己
制作/阿部雅子・横山勝俊
プロデューサー/平田修二
劇場名/シアターZOO

家族と命の物語

 札幌・中島公園の菖蒲池の中にある小さな島に、湖岸の大ホテルの別館が、雪が解けて貸しボートが始まる短い期間だけオープンして、毎夜ごとに特別に予約した一組だけの客が宿泊できる。
東京から、札幌在住のただ一人の身内であり一人暮らしの姪・由佳(=宮田圭子)を突然に訪ねて来た、これも一人暮らしの叔母・芳恵(=金沢碧)が今夜の客だ。
 荒唐無稽の設定であり、そこのボーイたち(=木村洋次・佐藤健一)の、およそ接客業としてはあり得ないような突飛で滑稽な行動、この別館の支配人(=斎藤歩)と、特別サービスで近隣のコンサートホール「キタラ」から地下道を通って出張演奏をしてくれるチェリスト(=土田英順)とピアニスト(=伊藤珠貴)の3人は親子で姉・弟だという、これも意外と言うか面白い設定。
 叔母・芳恵は命に係わる病気が発見された。たった一人の身内である姪の由佳に、由佳には母であり芳恵にとっては姉である人の墓のある東京に是非来て欲しい。
 姪・由佳は札幌生まれで札幌育ち、現在も札幌で生きているから東京へ行く選択肢はゼロである。
本格的なチェロとピアノのデュオを楽しみながら、素朴だが素敵な春鰊のディナーを満喫する叔母と姪……
 この春鰊を堪能するには燕尾服を着用するのが北海道の常識だという、これも荒唐無稽だが、頬笑ましいというか阿呆らしいというか、逆に知らない人が聞いたら信じるかもしれないという設定だ。
 ここでその風習を信じて貸し衣装の燕尾服を着た金沢碧の凛とした佇まい。これは初演以来、何度も観劇したのだが、何度観ても芳恵の覚悟のような清々しさが眩しい。
 二人はそれぞれの生き方を認め合って、でも以前とはまったく違ってぐっと親密な関係に、安らかになった叔母・芳恵は新しい命へと向かって行く。
 ラストに、別棟の浴室の窓から池の中のたくさんの亀がじっとこちらを見詰めていたことを回想するシーンがあるが、それは客席をその亀たちに見立てている、そしてそれは同じ作者の『亀、もしくは……。』の設定に類似していると感じる。
 おまけにこの支配人はやはり燕尾服なのだが、なぜかこの亀に引っ掛けたのか「亀の子たわし」の前掛けをしているのが無性に可笑しく、この遊び心が楽しいのだ。
 由佳と芳恵のたった二人の肉親と、チェリストとピアニストと型破りの支配人との家族という対比が様々な感慨をもたらす。
 北海道新聞の観劇紹介に(要約)「北海道で生きるには、厳しさが伴うことを普段の私たちは忘れがちだ」、「叔母に、何で北海道にいる必要があるの? と問われて姪が面食らって、そういえば何だっけ? とふと我に返る」と書いてある。
 確かにそうなので、この舞台はそこを言いたかったのだろうが、僕はこの文章にとても違和感があった。それは生まれた所、育った所に生きている理由は説明できないからだ。そこで産まれてそこで育って、そこで生きているからとしか言いようがない。冬が長く経済の冷え込みも厳しいという見方はマイナス思考だ。どこにだって様々なプラスマイナスは必然と存在する。
 この北海道新聞の一文は、良く読めば結局、僕と同じことを言っているのだろうが、僕が最初に一読した時には否定的な言い方のように感じて戸惑ったのも事実であった。
 僕も純粋の道産子だが12年前に連れ合いを亡くした独居老人であり、子どもたちは全員が東京住いで、最近は諦めたらしいが、東京へ来て一緒に住もうと良く言っていた。そのときに僕が思ったことと、この舞台での由佳が感じたことが同じなので、この芝居は他人ごとではないのだ。
 その他に女性客に対してだけ別棟の浴室にボートで送り迎えする従業員役、これもありそうでなさそうな不思議な存在で本日の出演は山本菜穂、ダブルで高子未来も出演する。