映 画
MET オペラ アイーダ
鑑賞日時/13.01.20. 10:00〜14:00
劇場名/札幌シネマフロンテイァ

オペラの魅力

 歌劇というものが苦手だった。それは偶然に前号の後記でも紹介した、曽野綾子さんのおっしゃる「芝居でもオペラでも筋が気になってたまらない」という理由が僕にも強くあるからかもしれない。もちろんこの説には後半があって、その面白さを解説していらっしゃるのだが、僕はこの曽野さんの提起した前半で留まっているのが実情だった。
 それが今日、初めて本格的な歌劇、もちろん舞台をそのまま中継したような映像だったが、それを視てまさに目から鱗だったのだ。
 一言で言うと、オペラが劇じゃあなくて音楽だということを再確認したと言うことに尽きる。音楽が人間の感情をこんなに表現出来るのにビックリし、音楽の力の偉大さに改めて感動したのだ。
 正直に言って開幕しばらくは前夜の疲れもあっていささかウトウトとしかけることもあったのだが、展開が佳境に入って来るとスクーリンに目と耳とが釘付け状態となった。
 物語は悲恋の単純な話である。エジプトの若き司令官ラメダスと相思相愛の女奴隷アイーダ実は身分を隠した敵国エチオピアの王女との間に、エジプトの王女アムネリスという恋敵が現れる。
 ラメダス率いるエジプトは勝利し、恋人アイーダは死を覚悟する。ラメダスは、恋人の父エチオピア国王の要請によって軍の最高機密を口にしてしまい、その自分の軽率を悔い自ら自軍に捕縛される。
 好機を知った恋敵のアムネリスはラメダスの助命に奔走するが、弁明を拒否する地下牢のラメダスの許にはアイーダが密かに待っていて2人は平穏に自死を求める。
 この物語が延々と4時間も描かれるのだが、その単純な物語を、歌手というのか俳優と言うのか、登場人物たちは同じ歌詞のフレーズを何度も何度も繰り返し、その人物の情感をこれでもか! というほど訴えるのだが、それが本当に観客である僕の心情に乗り移るのだ。
 歌劇とは劇じゃなくて歌だとずっと思ってきたが、この映像を観て初めて歌劇も劇であり、むしろその劇の部分を歌という手段で拡大して魅せたという感じが強くした。僕の言う「横の感動」が「縦の感動」を強くサポートする相関関係を感じる。
 岡田暁生著『音楽の聴き方』(中公新書)に「途中で聴くのを止めてしまって後悔しないような音楽は、所詮は刺激と反応のようなものであって、自分と「縁」がなかったのだと言うしかない。逆に、縁のある音楽とは、中座するのが苦しくて仕方ないものなのだ」とあった。