■■編集後記■■


見逃した舞台
 今年の冬は大雪でJRの電車が不通になり、幾つかの期待の舞台を観ることが出来ないと言う不運を味わった。
12月と1月 に多かったのだけど、3月に入ってからでも……
 3月7日〜10日「yhs」の『 消エユキ。』と3月8日〜10日「Ort-d.d」の『 わが友ヒトラー』の2作品。
そして、4月13日14日「風蝕異人街」=『戦場のピクニック』は自分自身の体調不良で観られなかったし、5月5日の『INDE PENDENT』は、JR電車の事故だけども泣き面に蜂の状況である。
 だから悪循環が4月5月と続いて……何だか最近、我ながら、すっかり意気消沈しているようだ。

個性と自己責任
 僕の大好きな、「何でも良いんだよ、でも、どうでも良くはないんだよ」という十代目・金原亭馬生の言葉があるが、脚本家の小山薫堂氏のインタービュ(朝日新聞13年4月18日掲載)の中に「やらずに後悔するよりも、やって後悔した方が良い」という小山氏の父親の言葉というのがあった。
 これも僕が良く使う大好きな言葉で、いずれも無責任のようで、これほど個性の強さと自己責任の重い言葉は無い。

縦書きと横書き
 朝日新聞13年4月1日の連載コラム「風景をたどって 1」(福田広樹・氏)の、「縦書き、寄り道、効用あり」と題された文章から、
「縦に書いてこそ日本語なのだ(石川九楊・氏)」「紙には上下、天地がある。地に向かっては重力が働く、その重力に沿ったり耐えたり、あるいは押し戻したりしながら、字を綴っていく。そこにはおのずと自制や自省が生じる」「縦に書く場合は、歴史や社会とともにある自分が意識されることが多く、横に書けば「私」がせり出してくる。手紙を書くのとメールを打つのは気分も中身も違う」。「漢字一字の中には、人間の意識の発達の全過程が含まれる。」などと述べられているのだが、さて……