演 目
水の駅
観劇日時/12.11.11. 15:00〜16:20
劇団名/風蝕異人街
原作/太田省吾 
構成・演出・美術・照明/こしばきこう 音響操作/遠藤沙織 舞台監督/山谷義孝
劇場名/シアターZOO

あらゆる時代を象徴する無言劇、鎮魂劇

 荒野の真ん中に水道の蛇口が一本立っていて栓からはチョロチョロと水が滴り落ちている。水はあらゆる生き物の生命の根源だ。
 ボロを纏って草臥れ果てた人たちが苦しみながらやってきて、その水を貪り飲む。互いに先を争い、人を押し退けても僅かな水滴を必死に飲む。
 それだけのシーンを延々と1時間20分に亘って繰り広げられるのだ。その間、台詞は一切ない。微かで苦しげなうめき声や嘆声が漏れるだけだ。ひたすら生きるエネルギーを求めて必死に足掻き水を求める一種の地獄絵図だがそこに絶望はない、明るさを求めてさまよう人たちの悲しいけれども未来を捜し求める群像である。
 かつて転形劇場が太田省吾のオリジナルで演じた時は少し違ったと思う。同じ作りなのだが、人々は高度成長経済の中で精神の荒廃に苦しみ何かを求めてさまよう群像だったように思う。それを無言劇で表現してすべてを観客の想像に任せたのだといえようか。
太田省吾は無言劇が著名で『小町風伝』『地の駅』『風の駅』なども無言の力が表す表現を大事にしている印象が大きい。
だから役者の肉体を強調する風蝕異人街には最強の演目とも言えるのだろう。
僕は、その転形劇場の『水の駅』を直接に観たのではなくTVの中継を観た間接観客だったので、はなはだ無責任な感想なのだが、そのときは第二次世界戦争ですべてを失った人たちの群像のように感じたのを思い出す。
 今日の舞台は、演出のこしばの言う通り、まさに3・11を鎮魂する物語であろう。いまこの戯曲を舞台化した風蝕異人街の演劇人としての見識を賞賛したいと思う。
この戯曲は具体的な時代や場所を特定していないが、その時代その状況によってさまざまな表現が可能だと言うことであろう。厳粛で重い主題だが、ずっしりと応えて心に深く残る見事な舞台である。
 すこし残念だったのは、全編に鳴り響く音楽と冒頭の静かなシーンに流れる荒涼とした風の効果音である。これらは一切不要だと思った。俳優は台詞を語らずダンサーは踊らないという原則であるならば一切の余分なものに頼らず、ストイックに純粋に肉体だけで勝負をして欲しかった。
 そして欲を言うならば、出演者が1人を除き全員が若い女性だったのだが、できれば老若男女の出演が観たかったのだ。
 出演者。三木美智代・平澤朋美・丹羽希恵・布上道代・福田泰子・相良ゆみ・
安田理英・武藤容子・夕湖・博美・吉松章