演 目
この手で
観劇日時/12.11.10. 14:00〜15:20
劇団名/舞夢
上演回数/31周年の第一歩
作・演出/すがわらじゅんこ 演出協力/安念智安 
照明/枇本享洋 音響/武部麻衣 道具/TOKU
舞台サポート/坂本光・長谷川順子・袴田栄里
ヘアメイク/三木千枝子 製作/舞夢サポーターズ
劇場名/サンピアザ劇場

当事者が創る感動的な啓蒙劇

 この聴覚に力のない人たちは、障害者という名称を嫌うのだが、現実にはそういう聴力の無い人たちを何と呼んで良いのか分からない。その聴力に障碍を持つ人たちの劇団が創った舞台である。
 演技者には聴覚の無い人と普通の会話が可能な人たちとが混じっているから、普通に話す役の人の言葉は聴覚の無い観客のために手話で、逆に手話で演技をする役者さんたちの台詞は耳の聞こえる観客のためにふつうの言葉で通訳をするスタッフたちがいるのだ。とても多くの人たちと手間の掛かる舞台である。
 話は単純明快だ。生来、聴力の無い女性・宮田幸恵(=幼少から新婚までを羽田恵理・壮年期を横山厚子―声は両方とも三木千枝子。そして老年期は斎藤協子―声を佐賀弥生)つまり1人の人物を年齢に応じて5人の役者が演じることになるのだが、老年を迎えた彼女が我が一生を振り返って、どんな人生を送ったか、周囲の善意に囲まれながらも、どれだけ辛い過酷な人生だったかを、「我が人生」と題した講演会を通して延々と再現する。
 それは現実に通訳を通して表現されて切々と我々聴覚に異常のない観客たちの胸を打つ。
辿々しく、とっても時間の掛かる表現は、僕たち耳の聞こえる者にとっては、とってもまどろっこしい。だがそれが逆にこの人たちのまどろっこしさを直接に感じられて強く胸を打つ効果があるのだ。
 この舞台は、この人たちの演劇と言う媒体を使った一種のデモンストレーションなのではないのかという感じもする。演劇というよりも宣伝広報のような作品なのではないのかとも思われる。
 だからこのような舞台を他の舞台と同じ評価をする事に大きな違和感を覚えるのだ。
 聴覚だけでなく視覚までなくした主人公の夫のシーンでは架空の話だと分かっていながら涙が禁じ得ない……
お涙頂戴の人情話じゃないよと思いながら、ご本人たちが演じると余りにもリアリティのあり過ぎる展開に思わず感情移入してしまうのだ。
 何度も言うようだが、こういう演劇をいったいどうやって他の舞台と並べて評価すれば良いのだろうか……
 その他の出演者。幸恵の母(=金時江・普通に話す)。幸恵の夫(=高橋浄・声=高橋直人)。司会者(=荒木元治・声=佐賀弥生)。幸恵の親友・希(=大山真希・声=山田千恵子)。その母(=松井康子・普通に話す)。希の夫と聾学校の教師(二役=TOKU・声=三谷敬造)。友達のOL(高橋真弓・声=松井康子)。
 こうやって名前を次々と書き出してみると、こんなにも大勢の普通に聴覚のあるメンバーたちもが協力して創ったのだと思うと感慨もひとしおである。