2013年8月の舞台から

瀕死の王さま    札幌座
 この芝居は、初演の時には、それほど思わなかったのだが、今回の観劇ではリアルな現実政治をそのまま映し出しているような気がして、その直裁的な勧善懲悪の表現に少し引いて観ていた。
 だが7月に観た「富良野GROUP」の『明日、悲別で』での、この直裁的な勧善懲悪に、逆に快哉を叫びたくなったりしたことがあったり、「後記」に詳しく書いたが7月に開催されたフランス・アビニヨン演劇祭の作品に、その傾向が強く、支持されたという報告記事を読んで、現実の社会情勢は、今やそういう表現を強く求めているのだなと痛感した。
改めて、そういう目でこの作品を見直し、僕にそのような表現をも見直さざるを得ない切っ掛けの一つになる、エポックメーキング的な作品の一つであると言えるのだ。


水の戯れ4 の2作品    WATER33-39
 新作と再演だがオリジナルの2作品は、戯曲としてとても気になる佳品であった。



 今月のスクラップ

作品に順位をつけること。        南博 
 ベスト10を選ぶことはそんなに難しくはない。しかし順位をつけることは難しすぎる。作品ごとにその魅力も優劣もつけがたい。全作品ともベスト1といいたい気持ちです。 『洋画ベスト150 』65ページ 1988年文藝春秋社刊より


舞踊                 渡辺保
「舞」は単純な少数の動きの組み合わせからからなり、「舞手の身体は、外から課せられた型に呪縛されている」
「踊」は動きが限定されずに、「様式から解放された自由さ、奔放さに本質がある」
―『厳粛荘厳』な能の舞と『絢爛豪華』な歌舞伎の踊りは好対照―
「舞」は体を不自由になることで精神の自由を獲得し、「踊」は身体の自由をよりどころに精神を探ろうとしている。