演 目
輪 〜Rin〜
観劇日時/12.9.6. 20:00〜21:50
劇団名/Theater・ラグ・203
公演形態/21周年記念公演
作・演出/村松幹男 照明/佐藤律子 音楽/今井大蛇丸
音響/伊井章 宣伝美術/久保田さゆり 
受付・会場/乙川千夏・伊東笑美子 
制作/たなかたまえ・柳川友希
劇場名/ラグリグラ劇場

直球のお伽話

 人里離れた山奥に、ひっそりと暮らすいわゆる少数民族が住んでいた。文化人類学博士のdr.ベク(=平井伸之)は、能天気な助手・アン(=斉藤わこ)と野外調査中に、その集落に迷い込んだのだが、そこで不思議な光景を見た。
 断崖絶壁の一部が割れて、そこに一人の女が吸い込まれたのだ。夢から覚めたような二人は、そこで道に迷い、現実の世界から隔離されたような集落にたどり着くと、そこの長老らしき老婆(=湯沢美寿々)に案内されて彼らの生活空間に誘われる。
 そこでは今日、この家の姉娘・ミズエ(=田中珠枝)が、この集落の規定による順番で、「護」といわれる別の集団に人身御供として捧げられた日だった。
 案内された老婆の家には、ミズエに片思いの男・ラン(=田村一樹)と、ミズエの妹のリン(=吉田志帆)が居て、二人は老婆には内緒でミズエを取り返す謀議を行っていた。
 護の団体は、主(=村松幹男)と当番(=瀬戸睦代)たちが、悪魔を閉じこめて守っていることになっている。老婆たちの集落は、そこに人身御供を出すことによって極秘裏に平和共存していたのだった。当事者のミズエも、二つの集団の和平を信じて、わが身の宿命を穏やかに受け入れていた。
 それに疑問を持ったランとリンが、抗議の行動を起こす、いう物語であった。
 一種の国籍不明、時代不詳の展開だが、あからさまなお伽噺による物語はいささか説明過剰な感じが強い。具体的にいえば、象徴としての原子力発電所を意識した、過剰文明と消費社会を維持するためにそれらを隠ぺいする体制への批判なのだが、それが理屈っぽく直接過ぎてちょっと過激だ。
 最近、文明や体制を直接に俎上に上げて、槍玉に挙げる作品が多いが、それだけ現実が逼迫しているということなのだろうか?
 ラストは、この世界が終わっても、また新しい世界が始まるという希望を語る一種のハッピーエンドだったが、果たしてそう簡単に終わらせていいものだろうか?
 アンの斉藤わこが、力の入りすぎた熱演で、戯画化され過ぎて、いささか現実感覚から離れるのが惜しい。むしろ少数民族の長老の役の方が落ち着いた深さ・不思議さが期待できそうに思うし、逆にこの助手の役は湯沢美寿々の飄々とした軽味を観たかったように思えた。
久しぶりの田村一樹が相変わらず元気なのが嬉しいし、顔を見せていた伊東笑美子の復活を待ちたいが、一方、久保田さゆりと柳川友希が不在で気になった。
 「護」の世界へ通じる岩壁の入り口の扉が、はっきりと長方形で切口が扉とすぐ分かるのが人工的過ぎて気になる。もっと周りの岩壁面と同化させる工夫、たとえば切り口を変形にし、周囲との境目を直線にしないとか周りとはっきりと分けないように溶け込ませるような工夫があればと思われる。