演 目
水の戯れ 4
観劇日時/12.8.26. 13:00〜13:50
劇団名/WATER33-39 3536
上演形態/短編作品2本立て
作・演出/清水友陽
劇場名/札幌・中央区 ATTIC

演目1  世紀の発明

不可解な時間と空間との謎

 透明人間と同棲する吸血鬼(=佐井川淳子)の所へ、死神(=畑山洋子)が吸血鬼の死を知らせに来る。
 吸血鬼は、テニスとゴルフの中間くらいの大きさのボールが四辺形に囲まれた傾斜する樋を流れて元に戻り永久に循環するという、エッシャーの騙し絵を現実に造ろうとする実験をしている。
 吸血鬼と透明人間との関係が時間を超越して、過去・現在・未来が錯綜しながら、死神はまったく不審を抱かずにすべてを現在の状況のように語りあったり、この実験装置は吸血鬼にとってあるべき空間の存在だったり、時間と空間との取り留めのない討論を重ねる内に、なぜか二人は親友となったころ、吸血鬼の死の時間が訪れる。
 ボールを何度、樋に流してみても、ぐるっと四辺形を一周しても元には戻らず、一番下の出口から虚しく床に流れ出る。その都度、吸血鬼は逆にそれが不思議で情けない、その感情になぜか共感するのが不思議で、もしかして観ている僕にも
この吸血鬼の持つ空間意識、なぜこのボールが元の樋の入り口に戻らないのだろうかという感情を共有してしまったのかもしれない。
 吸血鬼と透明人間そして死神という、人間にとって神秘なるものに対する敬虔な畏れの具体的な現れである、いずれも架空の存在である人物たちの不可解で奇妙な遣り取りが、滑稽にしかし真摯に展開されて、バカバカしいと思いながら奇妙に何かに引き込まれるのだ。
だが演技者の未熟さが懸命に真面目にと力が入り過ぎて、その戯曲の魅力が爆発しないのがいささか惜しまれる。


演目2  昨日明日協議会

観劇日時/同じく14:00〜14:50

早呑み込みの誤解で成り立たない意志疎通

 女(=畑山洋子)が一人部屋で同居人の帰宅を待っていると、入ってきたのは見知らぬ女(=高石有紀)であったが、後から来た女は、自分がこの部屋の住人であると主張する。何か、今問題の国家領土占有の確執が読みとれるのかなと思ったが必ずしもそれだけではない。
 二人の会話は、お互いに決定的な根拠がないので、自己主張をするだけで、中途半端なところで早合点して誤解するからどこまで行っても噛み合わない。
同居人が置いていったと思われる紙袋を巡って、責任逃れをしながらも、この部屋の正当な住人であることを主張する、またしても噛み合わず実りのない会話が延々と続けられる。
 そこへもう一人の女(=中川原しをり)が現れる。ところが第3の女は、先着の2人の女の待ち人ではなかったのだが、ここでも早合点で一人飲み込みの女たちは、さらに混乱する。
 紙袋には2億円の現金が入っていて、それは先着の2人の女たちは同居人が自分たちに残した物であると、ここでも都合の良い論理で勝手に決めている。
 現れない同居人の存在と、新たに現れた第3の女性の正体を巡って、この現金を頼りにその情報を買おうと三つ巴で画策する。その3人の手前勝手の主張合戦の顛末が、苛立たしく常識はずれのバカバカしさで展開される。果てしなく交錯しない物語がタイトルに皮肉に表現されているようだ。
     ☆
 2作品とも、自己主張と真摯さとが入り混じって面白い筈だし、現実味の薄いしかし現実を象徴化した諧謔味の強い軽快な話のはずなのに、やはり未熟さが懸命で力の入り過ぎた演技となって爆発しないのが残念な舞台となった。
 観客が、わずかに13人という極小劇場での勉強会としては2本のそれぞれ期待以上の良い戯曲を選んだと思われるのだが、練り込んでの度重なる舞台を期待したい。
 なお、チラシやパンフレットに、作者・演出者の名前を発表していないのは何か理由があるのだろうか? インターネットの告知には、ちゃんと書かれているのに……