演 目
闇に咲く花
観劇日時/12.6.27. 13:30〜16:30(途中15分休憩)
劇団名/こまつ座
上演形態/旭川市民劇場6月例会
     こまつ座第97回公演
作/井上ひさし 演出/栗山民也 音楽/宇野誠一郎
美術/石井強司 照明/服部基 音響/深川定次
衣装/宮本宣子 宣伝美術/ペーター佐藤 
演出助手/保科耕一 舞台監督/菅野郁也
制作/井上麻矢・瀬川芳一・谷口泰寛
劇場名/旭川市民文化会館大ホール

過去の失敗を記憶しない人はダメだ、
また同じ失敗を繰り返すから。


 1942年(昭和22年)と言えば第二次世界大戦の終結からまだ2年。世の中は混乱の最中にあった。僕も敗戦は小学4年生だし、この芝居の時代は6年生だったから、その当時のことは微かに記憶にある。
さて、物語は良く知られているのだが、一応ストーリイを紹介すると、東京神田の愛敬稲荷神社も、当時その戦後の混乱の真中にあったのだ。
 一人息子の健太郎(=石母田史郎)は戦死の公報が入ったままで、その父親の神主である牛木公麿(=辻萬長)は、荒れ果てた神社の神楽殿に寝泊まりし、近所の戦争未亡人たち(=増子倭文江・山本道子・藤本喜久子・井上薫・高島玲)とバラックを建ててお面製造工場を経営しながら、実は生きるために密かにコメを主に闇の食品売買をやっていた。当時はコメも統制商品だったのだ。
 そこへ死んだはずの健太郎が突然に帰還した。彼は爆撃された輸送船から太平洋に転落した時に記憶を喪失し、捕虜となってアメリカで抑留中に先日、急に記憶を回復して復員したのだ。
 健太郎は当時の中学生、今でいう高校野球の速球投手として有名であり、プロ野球からも嘱望されていたので、さっそくプロ野球イーグルス球団のテストを受け、即時に合格が決まる。
 それについては、一足先に復員していた健太郎の親友でバッテリィを組んでいた相棒の稲垣善治(=浅野雅博)の大きな尽力があった。稲垣は才能の限界を知り、野球は旧制の中学で辞め、医学者となって精神科医師として親友の健太郎の復活に力を尽くしたのだ。
 父と浅野善治と未亡人たちは、そんなささやかだけどもユーモラスで力強く抜け目のない生活の中で健太郎に大きな希望を見出して新たな生活に励む。
 闇商売の危険と不自由な生活の中で、徐々に復活してゆく日常を面白く愉快に元気いっぱいに見せるのだが、少々ご都合主義でバカバカしい部分も多い。
 例えばやっと御神籤が造れる時が来る。女たちは窮屈で不便な毎日から少しでも良い目に逢いたいと2円を払って御神籤を引く。すると大吉が出て小さな望みが叶う。すると次々と大吉が出て、それぞれの小さな望みが叶うのだ。
 それどころか所轄交番の巡査(=小林隆)さえも貧乏所帯の微かな希みが叶うが、彼は後に職権を利用して大儲けをし、辞職して、この神社の副神主になる。
 だが、そこへGHQというアメリカ占領軍総司令部の雇員・諏訪(=石田圭祐)が現れ、健太郎は抑留中、現地の住民に野球を教えているときに速球で捕手を昏倒させたことが虐待に問われてC級戦争犯罪人として裁判に掛けられるから収監するという通知を持って来る。
 諏訪も小市民であるがアメリカの強力な意向と職務には刃向えないのだ。後に彼も辞職して故郷へ帰る。
健太郎はショックで再度の記憶喪失症に掛り、諏訪は一同に健太郎の軟禁を命ずる。だが善治は何とか治して、善治の故郷の山奥に逃がしてやりたい。努力の末やっと記憶が戻って山奥の村に逃そうとした時、諏訪が当時の最新録音機を持って現れ健太郎の回復の状況を表す会話を示して逮捕する。
 一同は健太郎の生まれ変わりのような二人の捨て子を育てる新しい喜びを見出す。健太郎は、一同にとって幻の存在だったのではないのか。もともと健太郎は神社の大杉の根元にいた捨て子だったのだ。
 健太郎の言う「過去の失敗を記憶しない人はダメだ、また同じ失敗を繰り返すから。」が、この舞台のすべてだろう。
 好人物の庶民たちが、困難な時代をしっかりと涙を乗り越えて力強く生きる姿をユーモラスに、しかも健太郎に象徴される悲劇を交えて描いた3時間に亘る長編でやや疲れた。
 その他、近所の子守娘=大樹桜・新任の巡査=北川響・そして元・高級将校で巡礼のようなギター奏者=水村直也。