演 目
自慢の息子
観劇日時/12.5.13. 14:00〜14:50
劇団名/サンプル
公演形態/全国ツアー札幌公演
作・演出/松井周
舞台監督/熊谷祐子 舞台美術/杉山至・鴉屋
照明/木藤歩 照明操作/シバタユキエ
音響/中村嘉宏 衣装/小松陽佳留
ドラマターグ/野村政之 劇場担当/小室明子
劇場名/札幌・琴似 コンカリーニョ

アレゴリー満載の奇妙な物語

 この芝居はよく知られているので様々な事前の予備知識があった。舞台写真を見て多少の抽象化や象徴化は予想していたのだが、実際に観ると、自宅アパートの一室に独立王国を作るという物語の具体性に比べて舞台装置は思ったより非現実的であって、予備知識がなければ恐らく馴染むのに時間が掛ってちょっと難渋したかもしれない。
舞台一面に何枚ものシーツや毛布が乱雑に広げてあり、それが砂漠のように見えなくもない。そしてその毛布やシーツは、別に張り巡らされているロープと一緒に、隣家の物干しになったりスクリーンになったり衣装の代わりになったり、パーテーションになったり、テントのような形の自分の位置を決める目印にしたりと様々な活躍をする。
 もちろん物語は具体的とはいっても現実的ではない。なにしろ中年といっても良いような男・正(=古舘寛治)が自宅の一室に引きこもって、具体的な中身のない空虚な、名前だけの王国を作るという話だからだ。もちろん彼なりの「自立」という思想はあるようなのだが……
 この正は、顎髭の立派な生活力も逞しそうな男なのだが、なぜか母親(=羽場睦子)に寵愛されていて、それがタイトルの所以なのだが、男もそれに頼っているようで、そういう意味では、この正という男は非常に気味の悪い存在だが、現実の象徴でもあろうか? そういう矛盾した気味の悪い人間や集団や、大きくは国家など考えればキリがない。
 正は「良い場所を作ったから、来ませんか」と積極的な呼びかけをするのだが、その外交性は、そもそも自宅の一室にそういう場所を作るという内向きの考え方とは矛盾した思考ではないのか。イヤその矛盾こそがこの戯曲の眼目なのだろうか。人間は常に矛盾した思考と行動を気付かずに生きている存在だとも言えるかもしれない。
 さて、そこへ近親相姦という禁断の恋をする兄妹(兄=奥田洋平・妹=野津あおい)が参加する。この疎外された兄妹が、この王国に来るというのもさらに象徴的な意味を感じる。
だがこの兄妹の演じるシーツ越しの直接的なセックス・シーンはエロチズムを通り越してグロテスクだが、そのグロにさえにも、ある象徴を感じるのは、僕もこの舞台に特殊で強烈な魅力を少なからず感じているのだろうか?
 そしてこの集団に微妙に関わっていた隣家の煩い女(=兵頭公美)は、最初この王国と一線を保っていたのだが、ついに兄妹の兄と一緒になり王国の住人となる。
さらにこの国の案内人である別の男(=古谷隆太)は、母と一緒になり、兄を失った妹は国王に強引に凌辱され激しく抵抗し、王が信仰するチャチな祭壇をぶち壊すのだが……
つまり、この王国は目茶目茶に混乱するのだが、それは痛快な再建ではなくて、破滅へ向かうエネルギーの兆候が強く感じられるのだった。