演 目
 INDEPENDENT:SPR
 一人芝居フェスティバル

観劇日時/12.5.5. B組1・2・3の3編 14:00〜15:30
         A組4・5・6の3編 17:00〜18:40
舞台監督/高橋詳幸 照明/相馬寛之 音響/橋本一生
DJ・DJ T・A/はしもといっせい
フライヤーデザイン/T.A. 映像制作/南参
SPRプロデューサー/小室明子
協力/富樫佐知子・乙川千夏・yhs・intro・給食室bio
主催/NPO法人コンカリーニョ
共催/in→dependent theatre
劇場名/札幌・琴似 コンカリーニョ


■演目1  次の場所までさようなら 
脚本/二朗松田 演出/bloom bomb 出演/中嶋久美子

 「神様はその人が耐えることの出来ない試練は与えない。」という命題を唱えながら演じるのは、バレリーナーがバレーを踊りながら、それで相撲取りの出世物語を演じるミスマッチの面白さ。アイデァ勝利の爆笑舞台。
 自分の弟・弟子を「face book」と綽名する軽妙な洒脱さ、これはその弟・弟子は調子が良くて中身が薄いというアイロニーなのか? そういうテイストが満載なのだ。
 相撲取りが語る、僕の規定する「一人芝居の第一パターン」、
つまり自己史と自分の心境の述懐、自分で自分を語る話芸だが、ミスマッチと動きの華やかさでエターテインメントとしてとても面白い。


■演目2  ひな菊と財布 
脚本・演出/橋口幸絵 出演/坂本祐以

 人類発祥以前の類人猿から変わらぬ、女性の性(サガ)の悲しさ、性と金銭……
 小道具の巧みな使い方と、エネルギッシュで体当たりな演技の圧倒的な魅力……


■演目3  駆け込み訴え 
原作/太宰治 脚本・演出/南参 出演/小林エレキ

 友人の裏切りを必死に訴える男、はじめ、舞台は裁判所かと思ったが、どうも違うらしい。
 大勢の登場人物を縫いぐるみの動物を置いて表す卓抜な思い付きだが、話がくどくて理屈っぽく、せっかくの小林の迫真の演技が空回りして退屈する。


■演目4  桜待ち 
脚本・演出・出演/亀井健

怪異な容貌によるコンプレックス男の暗い青春、ポケットテッシュに賭けるエネルギー、郵便局強盗の片棒担ぎと、失敗して刑務所内での怪異な容貌の原因である腫れ物の強引な摘出、だがその腫れ物の中身は空っぽ、開き直った男の憧れの女性、宇宙空間への憧れと挫折……という陰隠滅滅でハチャメチャな自己史。


■演目5  α―β motif 
脚本・演出/渡辺豪 出演/小林なるみ サポート/松岡春奈

ロミオ役の役者と乳母、ジュリエット役の女優と乳母、乳母はキャスター付のマネキンである。その人形の乳母を紐で上手く操って掛け合いを演じる。
日本語が上手く通じないとか、全編に流れるラジオらしいニユースの音声など、すべてがデスコミニュケーションの象徴であろうか?


■演目6  マラソロ 
脚本/山崎彬 演出/伊藤拓 出演/加藤智之

 『マラソロ』というタイトルでまず思ったのは、ソロのマラソンつまり孤独で長い努力の物語であった。
そしてその直後にピンと来たのは、ソロの「まら」(男性器の俗語)つまりオナニーではないか?
開幕早々、後の推定がズバリ当たった。つまり究極の男の孤独だった。それを延々と即物的に表現する。グロテスクなエロの悲哀だ。
  ☆☆☆☆☆☆
 坂本祐以の『ひな菊と財布』、小林なるみ『α‐β motif』以外の札幌作品2本は、理屈っぽく動きが少なく面白くないし、この2本も突出した意外性は少なく常識的だ。
 それに対して、中嶋久美子の『次の場所までさようなら』、加藤智之の『マラソロ』、この2本の大阪からの作品は、発想の意外さの面白さ、そしてエネルギッシュな動きの激しい迫力がインパクト充満で印象に残る。
 さて僕が考える一人芝居には次の3種のパターンがある。
 1 役の主観だけを延々と話すという一人芝居。
坂本長利の『土佐源氏』、貧困に暮らす今やすっかり年老いた博労(牛馬の売買を業とする商人)が若かりし頃の自分が如何に女にもてたかということを延々と語る―宮本常一という民俗学者の聞きとり話から創られた。
 バリー・コリンズ『審判』、戦争で捕虜になって洞窟に閉じ込められ、食べるものがなくなったとき、死んだ同僚の人肉を食べた経験を延々と語る元兵士。
チエホフ『煙草の害について』、タバコの害について語っているうちにいつのまにか感情の高まりに従って、話が脱線していく。
 2 架空の相手役を対象に、一人の演者が一人の役だけを演じ、実際には相手役の見えない舞台から観客の想像力を誘い出し、観る人の頭の中に劇的人間関係を浮かび上がらせるという表現方法。
 井上ひさしの『化粧』、大衆演劇の女座長が、出番前の楽屋でメーキャップや着付けをしながら、役者たちや出入りの者たちを相手に、様々な対話をしたり、叱ったり、教え諭したり、ついには音信不通だった実の息子の出現に動揺しつつもかろうじて貫禄をみせつつ、切なさに心で泣く。
ジャン・コクトー『声』、恋人と電話で話をしていた女が、様々な葛藤の末、ついに破局を迎えるという話。
 3 一人の演者が大勢の登場人物を交互に演じることによって劇的な人間関係を表現する方法。この典型が「古典落語」。
もちろん、これらの技法を混ぜたり、一部分を取り入れたり、様々なバリエーションがあります。いずれにせよ一人芝居のポイントは観客の想像力に頼るところがとても大きいということです。