演 目
落語芝居
観劇日時/12.4.17. 13:30〜15:40(途中・仲入り10分)
劇団名/1980
上演形態/旭川市民劇場12年4月例会
構成・演出/大谷美智浩
出演/柴田義之・翁長諭・木之村達也・神原弘之・小出康統・湯澤俊典・則松徹・上野裕子・室井美智・南かおり
劇場名/旭川文化会館小ホール


 落語は「業」の肯定だと立川談志は言う。では業とは何か? 業とは人間の弱点であり、すべての人が持って生まれた避けられない心の弱みであろうか? 落語は、そういう人間の業を肯定することから現れる可笑しさを表現する話芸であると言えよう。
 さらに喜劇とは何か? 僕の規定によると、喜劇とは、人間や人間が作る社会の矛盾や弱点を抉りだして笑い飛ばす演劇であり、それに対して悲劇とは、人間の力では左右できない宿命を描いた演劇といえる。宿命とは神の意志のようなものであるのに対して運命とはもっとスケールが小さく人間の力で切り開いていくことができるイメージがある。
 そこで僕は、落語の滑稽噺は喜劇であり、人情噺は運命を開拓する話であると規定する。
 さて今日の落語芝居、『千早振る』は、隠居さんの空威張りする頓珍漢振りのバカバカしいおかしさ、『猫の皿』は、現代風俗化した二人の女性の物欲合戦を両編とも短編喜劇として演じた。『猫の皿』の現代化は、いかにもさもありなんと感じさせて面白い。もうちょっとこんがらかせた方が面白かったように思う。淡泊すぎた。
 続いて『宿屋の仇討ち』は、それぞれ自分勝手な人たちが要領の良い方が知恵で勝つという痛快な物語。これも自己本位という業を知恵で解決する優れもの。
 『芝浜』は『文七元結』と並ぶ人情噺の二大傑作の一方の雄。酒飲みで、どうしようもない魚屋の亭主が浜で拾った大金を、女房は夢だと言いくるめて家業を大成させる。
 これは改心するまではバカ亭主の喜劇だが、女房が活躍する部分は運命を開拓する話に転換する。
 少し硬い表現のような気もするが、開放的な喜劇と運命開拓の話は爽快感が大きいのだ。