演 目
天守物語
観劇日時/12.3.19. 20:--〜21:30
公演形態/ジャパドラ地区大会
劇団名/WATER33-30
作/泉鏡花 演出/清水友陽 照明/清水洋和 舞台/ワタナベジュンイチ
大道具/小室彰子 衣装/高石有紀 写真撮影/高橋克己 映像撮影/高田昌和 演出部/中川有子
制作/梶原芙美子・岩田知佳・小林テルヲ
出演/富姫=畑山洋子 姫川図書之介=赤坂嘉謙 薄=高石有紀 撫子=奈良有希子 桔梗=小林あかね 
女郎花=岩淵安希子 鬼灯=竹内友痲 蜻蛉=佐藤香菜 亀姫=佐井川淳子 舌長姥=中塚有里 朱の盤坊=辻直弥
女童=大久保しぼり 小田原修理=金子僚太 山隅九平=知久貴大 
討手・獅子頭=石川哲也・田中春彦・由村鯨太・長浜浩宣
劇場名/シアターZOO

完成度の高いメロドラマ

 揃いの真っ白の衣装と何もない真っ黒で狭い舞台が、閉じられた抽象的で無菌の世界を強く感じさせて、生々しい人間の匂いが感じられない。だが……
     ☆
 そもそもこの『天守物語』の初見は、96年7月「はみだし劇場」が新宿の花園神社境内の野外で上演されたものであり、その感想は、「(要約)おどろおどろしい雰囲気、結局何物をももたらさない虚無の世界、地獄極楽の絵図を拝んで救いを祈る、閉塞の時代に生きる中世の善男善女の再現」とあった。
 次は98年10月「ク・ナウカ」の増上寺大殿前特設ステージであった。「(要約)大きなお寺の本堂の階段と広縁を使ったことが、日本情緒の濃い雰囲気にマッチして、美加里(富姫)の集中力の強い演技に引き込まれた」などと書かれ、両者とも野外の舞台の広がりに魅力を感じていたことが思い出される。
 3回目は99年の2月、人形劇団「ひとみ座」が俳優座で上演した舞台だ。
 「(要約)富姫の一族はユートピアの住人であり、武士たちは煩悩を捨てきれない人間たち、その中でひとり異界を覗き見て富姫と心を通わせる図書之助という実に分かり易い構図がはっきりとした。富姫の妹分である亀姫はユートピアがもっとグローバルな範囲をもっていることの具体化であろう。人形で演じることで異界の現実離れした雰囲気が良く出ていた。」
 そして4回目は05年9月19日『劇乃素 旗揚げ公演』(ツカサ版)艶屋プロデユース・アトリエ練庵・脚色演出=矢野ツカサ。
「(要約)増上寺の回り縁を使った、あの壮大な舞台の印象が強く、客席数たったの30人、そのうえ手が届きそうにタッパ(天井)の低い雑居ビルの一室で上演するということが想像できなかった。
答えは見事であった。天守閣の五層階の異空間を真っ黒な布と紙で覆った狭い空間に閉じ込めて、その雰囲気を表現した。装置らしいものは一切造らずに観客の想像力に頼ったことが逆に茫漠とした広がりを感じさせたのであった。
 『人間たちの身勝手さ』や、『権力階級の自分勝手な論法』などを糾弾する富姫(=松浦みゆき)の台詞、富姫が図書之助(=大友理香子)に、言う言葉や、富姫が図書之助に恋心を抱く瞬間など、いずれも大事な台詞の数々が、クローズアップのごとく浮き出てくるのも意外な効果であった。」
 5回目の最近は09年6月21日に深川市文化交流ホール「み☆らい」で観た、平常の人形劇である。
「(要約)アイデァと技巧だけが突出し、『天守物語』の持つ何物かがほとんど伝わらなかった。おそらく自分の世界に浸りきって自己陶酔に陥っているのではないのかと思われる。
 一種の伝統芸能のような表現方法を編み出したのは手柄であるが、それを演劇として昇華させなければ、その形に小さく固まって好事家だけの趣味的な楽しみに過ぎなくなってしまう危険性を危惧するのだ。
 現代を生きる演劇として、どう考えどのような表現方法を遣うのかが大事だと思うのだ。」
     ☆
 この5回の観劇の中での『天守物語』の記憶は、「ク・ナウカ」の増上寺境内の壮大な野外舞台と、それとはまったく逆の「劇の素」の凝縮された真っ黒の空間での世界という好対照であろうか。
 今日の舞台は、「劇の素」と同じく凝縮・密閉された密室ではあるが、人間臭い「劇の素」とは違った様式化・抽象化された表現で、「ク・ナウカ」が創った壮大な人間模様が象徴的に感じられる、すっきりと完成度の高い作品であった。