演 目
シャボン玉とんだ 宇宙までとんだ
観劇日時/12.2.21. 12:30〜16:20(途中休憩15分)
劇団名/音楽座ミユージカル
公演形態/旭川市民劇場2月例会
原作/筒井広志 脚本/横山由和・ワームホールプロジェクト
演出/ワームホールプロジェクト
エクゼクティブプロデューサー&クリエイティブディレクター/相川レイ子
音楽/筒井広志・八幡茂 振付/中川久美 美術/大田創 衣装/原まさみ 照明/大島祐夫 音響/小幡亨
舞台監督/大友仁義
劇場名/旭川市民文化会館 大ホール

古臭い人情劇

 ヒロインの女の子(=高野菜々)は、幼い頃から孤児であり、養い親から性的な部分も含めてDV被害に遭いながら大きくなった。まずそのシーンが象徴的に浮かび上がる。
 その養父は暴力団のボスで、彼女に掏りをやらせ、孤児院で成長した後も彼女の大事な時に現れて妨害する典型的な悪人の存在だ。これって何か落語の人情話にあったような気がする。
 しかもそのやくざの手下を連れて来る現れ方も余りにも典型的だ。思わず笑ってしまうほど絵に描いたようなシーンだ。
 彼女が最初に愛する男(=小林啓也)に会う遊園地も、その会い方も、あまりにも何処かで見たような風景だ。
 彼が苦労して理解ある喫茶店の店主夫妻(=佐藤伸行・秋本みな子)の元でバイトをしながら世界的な作曲コンクールに優勝するというのも、そのとき彼女が養父に迫られてその養父を殺してしまうという展開も、ヤラセそのものとしか思えない。
 実は彼女は、ある地球外生物の生き替わりだったというSF仕立てもご都合主義な話だ。
 ことほど左様に、物語のすべてが、一見、巧く収束に向かっているようだが、すべて必然性のない、古臭いご都合主義の人情物語なのだ。
 そのことを代表者の相川レイ子氏は、当日パンフの中で、「ユング心理学ではシンクロニシティ≠ニいう考えがあり、お互いの間に因果関係なないのだけれども、どうしても無関係とは思えない偶然の一致≠ェある」と言っている。
 しかしこれはご都合主義の展開を弁解しているとしか思えない。まれに偶然の一致があったとしてもいいけど、このように次々と繰り広げられると白けるだけだ。
 ラストで服役が終わった彼女が10年経っているのに、彼は飛行機事故のために宇宙人の宇宙船に居たために歳をとらずギャップが出来たので、逆に彼女が宇宙船で地球の10年に相当する1週間を過ごすという設定も、ものすごくご都合主義だ。
 こういう風に物語自体は古臭いハッピイエンドの人情劇だが、それを総勢25人という大多数の登場人物と、膨大で華麗な舞台装置、キレのよいダンスと歌唱、そういう技術の巧みさによって多くの年輩の女性観客に大喝采であったのだった。
 最初から予見できたなら絶対に観ない類の舞台で、時間を損した気分……だが、今日の観客の皆さんにとっては、一種のカタルシスの強い心癒される時間であったと思われて、いささか救われたのだ。
僕の規定する「横の感動」だけが強く突出して、「縦の感動」のほとんど感じられない作品である。