演 目
このくらいのLangit
最初の観劇    観劇日時/12.1.28. 18:00〜20:0
第2回目の観劇  観劇日時/12.2.4.〜13:00〜15:00

劇団名/劇団イナダ組 公演形態/札幌演劇シーズン2012冬 参加公演
作・演出/イナダ 照明/高橋正和 舞台/福田舞台 音響/奥山奈々 舞台監督/町田誠也 
音楽制作/kkジョーダウン 舞台部/中村ひさえ・坂本由希子 衣装/上總真奈・小林泉・石川藍・塚本智沙・山下紗絢子
企画/NPO法人コンカリーニョ
劇場名/コンカリーニョ

人間破壊の典型的経済下層社会

 ランギットとはタガログ語で「空」である。東京新宿の空の見えない高架下のバラックに住む、その日暮らしの最下層の人たちの物語。
 彼らは様々な来歴で集まって、社長(=野村大)、ママと言われる強欲の専務(=上總真奈)を中心にインチキ会社を作り、廃品を集めて整理して、たまには非合法での金儲けに勤しみ、仲間内の小競り合いを繰り返しながら、それなりの集団を維持している。神戸の震災で全てを失ったモモ姉(=山村素絵)、在日韓国人のゾフィー(=江田由紀浩)などが古い住人で、胡散臭い取引相手のゾッキ屋(=氏家啓)が絡む。
 そこへ、世間知らずで借金が膨らみ破産して売られて来たインテリ研究者(=納谷真大)でミズノと仮の名を付けられた男も、同じく詐取されて売られてきたフイリッピーナ・エミー(=今井香織)も、元々は優しい人たちだ。
 だが徐々に金に取り込まれて心を失っていき故郷を捨てざるを得なかった人たち、人種も貧富も経歴も  名前さえ無くして仮の名で暮らす裸の人たち……
 ここには幾分、精神が純粋であるが故に社会に馴染めないカンという青年(=高田豊)とその姉のビン(=小島達子)という姉弟の孤児がいた。
 カンは絵が好きでノートにたくさんのイラストを描いていた。そのころ、地域TVが当地の話題として、レポーター(=澤田未来)とカメラマン(=高橋真人)の二人が、この高架下の集団を取材した。
 そこで取材されたカンの描くイラストが、高架下の天才として大いに売れる。時流に乗ったこのインチキ会社は、姉のビンを代役にたててイラスト作品集をはじめ、キャラクター商品や挿し絵など次々と売り出して環境は激変する。
 黙々と意に添わない作画に追い込まれるカンはストレスに追い込まれるのだが誰も彼の苦しみを理解しない。もともと彼は生活力がないから従うしかないのだ。だが彼はそれを良いことに搾取され続ける。
 フイリッピーナのエミーは故郷の貧困に極端に背を向けているが、その南国の大自然に広がる青空・rangitにつきない憧憬を持ったカンは、その感情がエミーに対する恋情と変化し、社長に報酬を要求し姉のビンとも衝突する。あくまで金蔓のカンを囲い込もうとする社長と専務のママ。
 故郷に残した娘のために大金が欲しかったインテリ研究者・ミズノ。そしてラストは、個々の金銭のための軋轢によって、すべての関係は破綻する。
 人間の幸せが経済社会の仕組みによって破綻する、資本主義社会の枠組に支配され追い込まれた悲劇が、判り易く感情を増幅させて描かれた残酷社会悲劇である。
 その他にTV局のアナウンサー役で山崎亜理紗が出演する。


続いて第3回目の観劇

観劇日時/12.2.11.



象徴的な表現と誇張表現について

 三回目の観劇である今日の舞台に感じたことを書く。これは観劇後に同行者とで感想を話し合った時に期せずして同意した意見であった。
 それは描かれている人物たちにリアリティの欠ける描写があるということだ。
 その顕著な例では、追い込まれて絶体絶命のミズノさんの殺人の動機なのだが、実際にはあの狂気の殺人行為は不自然だと思われること。
 次に天才画家のカンちゃんは、知能障害があるのに時々意外とも思われる常識的な言動をして、その知能程度の表現にブレが感じられることなどだ。
 以前には僕は、物事の真実を象徴的に誇張して表現する一種の技術として、そういう表現なのだと了解していた。
 だがやはり、このようなリアリズムの表現ではそういう些細とも思われる矛盾というか引っ掛かりが、どうしても邪魔になると思わざるを得ないのだ。