演 目
下谷万年町物語
観劇日時/12.1.10. 18:30〜22:00 途中休憩(30分)
公演形態/シアターコクーン・リニューアル・オープン
作/唐十郎 演出/蜷川幸雄 美術/朝倉摂 照明/吉井澄雄
音楽/猪俣公章 編曲/門司肇 音響/井上正弘 
振付/池島優 歌唱指導/島田久子 衣装/宮本宣子
ヘアメイク/奥松かつら 演出補/井上尊晶 
舞台監督/芳谷研
劇場名/東京・渋谷 シアターコクーン

メタシアターと権力批判

 第二次世界戦争直後の東京下町……破壊され尽くした街と飢えた大衆のごった返す街は、現在の東北地方の実状を彷彿とさせるが、また逆に言えばエネルギーに溢れ返っている時代でもあり現在の希望をも暗示する。
 この街に生き残った男装の麗人・キティ瓢田(=宮沢りえ)は、かつて協働していた青年との想いを反芻していた。そこに現れた当の青年・洋一(=藤原竜也)……この偶然の巡り合わせに立ち会った少年・文ちゃん(=西島隆弘)、この3人のそれからが描かれるのだが、麗人・瓢田は役者、洋一は演出家で文ちゃんは作家という役回りであろう。
 それから延々とこの3人を中心とした物語が展開されるのだが、そこには地元でしぶとく生き生きと蠢いている男娼たちの動静が背景にある。
彼女たち? は男娼の劇団を作って生きているのだが、洋一や瓢田は、その劇団とも協働しようとする。幻の劇団創りの夢を追い駆ける人たちの物語……
 洋一と瓢田との間に芽生える淡い恋……文ちゃんの新しい表現に対する淡い憧憬……
物語はそれらを内包しつつ、万年町の圧倒的な男娼たちのエネルギーを発散しながら展開していく。
洋一と瓢田の関係や、警視総監の帽子を巡る権力批判のエピソードは、説明調の長台詞が邪魔して説得力が大きく減殺される。この物語は3時間を越える必然性はないと思われる。
宮沢りえは、遠い客席から観ると表情は分からないけれども全身のエネルギッシュに躍動する身体的魅力は素晴らしいし明快な台詞も訴求力が強く、あの長台詞を操る魅力も充分でさすが女優として面目躍如の存在だ。
 三階建ての巨大な舞台装置と本水を使い、47人のオカマ軍団が舞台狭しと群舞するケレン味たっぷりの大舞台は、それだけで莫大な仕込み費を掛けた見ものとしての話題充分だ。
だが、宮沢りえと藤原竜也そして西島隆弘の3人の関係が創る演劇の象徴の表現が、唐十郎得意の体制批判のオカマたちの存在の強さによって影薄くなってしまったんじゃないのかと少し心配になるほどだった。
 ビックリしたのは、ワン・シーンだけ出演した石井愃一が演じた成人後の唐十郎の役だった。物語のその後を回想する場面で唐十郎本人が出演するのだが、本人が出られない場合は石井愃一の出番で僕が観た日は石井愃一だった。ところが舞台の石井愃一を観ていて、「あれっ、今日は唐の出演日だったかな?」って思うほどに似ていた。巧く物まねが出来るのも役者としての一つの技能の中なのであろうか? と感心した。