■■編集後記■■


■PROBE
 北翔大学北方学術情報センターが、年刊で発行する舞台芸術通信『PROBE』12年3月発行の第6号に、今年も「この一年間に観た道内の舞台から」のタイトルで4ページ半の拙文が紹介されました。年間4冊の『続・観劇片々』からの抜粋です。


■鷹栖三分間劇場 
 鷹栖町の町立メロディホールの主催で毎年開催されている「熱闘三分間劇場」が新体制になって今年が2年目だとか、僕たち「ふかがわ市民劇団」が一昨年の第11回まで9回に亘って合計22作品で出場した経験から言って、今年は完全にコンセプトが違っていたように思った。
それはまず審査員の構成からも強く感じられる。教育者が4人で、アマチュァ・タレントとでもいうのだろうか? その人が1人、そして委員長はプロデューサーだ。
 もちろん、演劇競演の審査員にアマチュァの眼も必要だが、「劇場」と銘打っているからには、専門家が専門家の眼で批評し助言することが大事なのではないかと思っている。
一番の問題は、新しい体制の基本らしい3分間のルールを強制するこだわりであり、それでは参加者の演劇に対する意識が委縮してしまう危険が強い。もちろんルールは大事だけど、そもそも演劇という表現にルールは絶対なんだろうか?
前々回までは、あくまでも演劇を創るというコンセプトであり、それに対して主催者側には時間的な寛容さがあり、僕たちはそこを考えながら上演し、それなりに勉強もし育てられたと感謝している。そして深川から「F.A‐muse」や「あびりてぃ」の若い人たちが出てくれることを非常に嬉しく思った。
ルールの強制は、出し物の「軽さ」みたいな傾向にも強く反映していたような気がする。ほとんどがテレビのお笑いコントみたいな作品が多く、ずっしりと心に残る舞台が少なく、僕が以前から言っていた「三分間ではドラマが出来ない」ということが証明されたような気が強くする。
 三分に拘る理由は、できるだけ大勢の人たちに舞台に親しみ馴染んで頂こうというコンセプトであり、それも了解できるのだが、あえて舞台は遊ぶ場であると同時に創造の場であることが大事だと言うことの再考を望むことが、9年間一緒に苦労した三分間劇場に対する僕の恩返しだと思っている。