演目 海辺の日々
観劇日時/11.11.20. 14:00〜15:40
劇団名/弘前劇場
公演タイトル/弘前劇場公演 2011
作・演出/長谷川孝治 舞台監督/野村眞仁
照明/中村昭一郎 音響/田中守理 装置/鈴木徳人
宣伝美術/デザイン工房エスパス
制作/弘前劇場 協力/アクトレインクラブ
劇場名/シアターZOO


物質至上ではない本当の幸福とは
 東北の海辺にある、小さな街の新聞社の通信局。そこで16年も飼われてい
た飼い猫のサクラが居なくなった。
 たった一人の局員・岡村(=高橋淳)は、仕事そっちのけで心配する。妻
の貴子(=小笠原真理子)とちょうど夏休みで帰省中の娘・美智子(=寺澤
京香)も一緒になって大騒ぎだ。
 岡村はなぜ、こうなってしまったのか? 一つには、このゆったりと時間
の過ぎる土地の味がある。
 そこへ本社から次の通信局員になる上村(=青木竣)が初めての挨拶に来
る。都会人の上村は度肝を抜かれるが、次第にこの雰囲気に飲み込まれてい
く。
 この事務所には何もない、只、だだっ広い長机が3脚と数脚のパイプ椅子
と卓上電話があるだけの、まるで公民館の一室のようである。
 貴子の兄である前の町長・稲垣(=福士賢治)、町の総務部長(=長谷川
等)、篤農家の久道(=林久志)、社教主事・米沢(=田邉克彦)、隣家の
食堂のおやじ(=永井浩仁)とその妻(=国柄絵里子)、娘の友人で学生
(=黒滝奎吾)、そしてバスの運転手(=柴山大樹)らが無差別に出入りす
る。
 その雑談の中から、田舎暮らしの様々な人生が炙り出される。それはちょ
うど猫が一生を寝て暮らすのに似ていて実はそれが生きている実感なのでは
ないのか?
 もちろんその様々な日常こそ人生なのだが、実は何が大事なことなのか?
岡村は大事なライバルでもあった親友の記者を先の津波で失っている。
 彼はそれから人生観が変わった。それが良いのか悪いのか、ともかく変わ
ったのだ。だからそれから半年以上もこの通信局の記事はすべて貴子が内密
で取材も代筆もしていたのだ。そして地元は逆にそれを受け入れる懐の大き
さがあったのだ。
 集まってくる人たちの日常の雑談が面白い。そしてその雑談の中にこそ、
この地に生きる人たちのささやかだが重い真実がある。
 特に面白いのが後半に登場するバスの運転手だ。実は彼は元・高校国語教
師で何かがあって転職したのだ。だからか、彼の雑談や時に何気なく吐く警
句は、無意識なのか意識的なのかは分からないけど、諧謔味に富んでいる上、
的を射ていて微苦笑が耐えない。
 やがてサクラはこのバスの運転手の機転で保護されていて、無事に帰って
来るという知らせで幕が降りる。
 物質文明に背を向ける人たちを、3・11を契機に捉えて象徴的・散文的に
描いた心に残る佳編である。
 一つ気になったのは、この電話が鳴って受話器を取るさい、こちらの名前
を名乗らないことだ。しかも主人の岡村は着信自体を一切無視する。
 岡村が拒否する心境は良いとして、受話器に名乗らないのは不自然だ。個
人の場合、物騒な世の中だから慎重を期して名乗らないことも多いかと思う
が、このような半ば公的な場合はどうであろうかと気になる。リアリズムが
破綻する懸念が強いのだ。それともわざと破綻させているのか?