演目 蒸発
観劇日時/11.11.5 19:00〜20:30
劇団名/intro
作・演出/イトウワカナ
照明/相馬寛之 音響/橋本一生 舞台監督/高橋詳幸
舞台美術/川ア舞 衣装/中原奈緒美 
宣伝イラストレーション/針 宣伝美術/本間いずみ
マネージャー/(男子)浅野孝幸・(女子)富樫佐知子
企画・制作/1ntro
劇場名/札幌・西区・琴似 コンカリーニョ


様式化された崩壊劇
 年中雨漏りのしている古いボロ屋に住む老いた母親(=宮沢りえ蔵)。そ
こへ20年振りに訪ねて来たこの家の次男(=高田豊)は新婚の妻(=菜摘あ
かね)を伴っていた。
 そこにはやはり何十年ぶりかに独身の長男(=佐藤剛)も戻って来ていた。
二人の息子は屋根を直すことを提案するが母親は拒否する。
 ここには兄弟とは幼なじみの隣家の男(=大高一郎)が屋根を覆うビニー
ルシートを持って来たり、自分の母親と諍いばかりしているちょっと知能の
足りないような従兄弟(=菊地英登)が入り浸っている。
 こういう家族の物語だ。だが、この人たちは普通じゃない。何かすべての
物事に異常に敏感に反応する。しかもその反応の仕方は、全身を異常に振る
わせたり普通じゃない身体の動きを見せる。
 この動きは一見、先行の二つの試みに似ているが、内容は違う。これは、
チェルフイッチェの「コミユニケーション拒否」とも、小佐部明広の「共同
体維持のための共通行動」とも違う、異常反応による無意味で瞬間的な顫動
のような動物的身体行動である。
 台詞も動きもそういう一種、抽象的ともいえる表現だが、それは緊迫感の
ある表現だ。
 結局、壊れた家族や親族そして近隣関係は回復の見込みもない。そんな壊
れた人間関係が雨漏りの家屋で象徴される。
 犬の縫いぐるみを着た上杉さん(=のしろゆう子)の存在が分からない。
普通こういう存在は客観の位置かとも思うのだが……
 この舞台も出番のない役者が舞台脇に控えて待つという一種の能舞台のよ
うな設定である。何か流行のような気もするのだが何を意味するのだろうか?
様式化して舞台を客観視する仕掛けなのか?