演目 當世流小栗判官

観劇日時/11.10.22. 16:30〜20:50(途中休憩30分+20分)
原作/近松門左衛門+文耕堂・竹田出雲
脚本/勝諺蔵+奈河彰輔
補綴・演出/石川耕士
演出/市川猿之助
美術/金井俊一郎 装置/金井勇一郎
照明/吉井澄雄 振付/藤間勘十郎
劇場名/東京・新橋演舞場

歌舞伎の総集編

 物語は、各地を巡って訪ね歩く典型的な純愛悲恋物語だ。結局はハッピー
エンドになるのだが、その間、男を捜して歩く薄幸の女の物語だ。
 そして見所は、歌舞伎の様々な形が百科事典のごとく次々と展開されるこ
とだ。
 まず舞台設定だが、基本は時代狂言といわれる江戸時代以前の武家社会の
権力闘争とそれに繋がるお家騒動、そして景が変わると世話狂言といって農
工商の庶民の生活が描かれ、その中に陥れられた武士が再起を図るという物
語で、この舞台もきっちりとそれが展開する。
 次に表現方法、たとえば浄瑠璃のBGMによる古典的演技、現代的な台詞
劇、そして話の内容も三角関係による殺人の怪談、義理による我が子殺害、
忠義心による自害などの陰惨たる事件、チャリ場という滑稽な楽屋落ちのシ
ーン。
 道行という舞踏劇。そして早変わり、凄いのは一人の役者が対面する男女
の二役を一部に身代わり役者を使いながらも颯爽と演じて拍手喝采だ。
 そしてそれらが、延々と続くのも歌舞伎演劇の大きな特長だと思われる。
 最大の見せ場は宙乗りであろうか。今回は二つあって、その1は、かん計
に陥ったヒーローの武士が荒馬を乗りこなし最後に碁盤の上に後脚だけで立
ち上がるという曲芸。
 そしてもう一つは、ラストでついに巡り会った恋人たちが白馬に乗って天
空高く舞い上がるシーン。
 白眉は30分の休憩中に食堂でお酒を飲みながらの豪華ディナーであろうか?
贅沢といえば贅沢だが、これぞ歌舞伎観賞の醍醐味である。これも演劇芸術
なのであろうか?

 主な出演者
 亀次郎・笑也・右近・猿弥・笑三郎・春猿・寿猿・薪車・竹三郎・獅童・
 愛之助。
 段四郎は病気休演で右近の代演。


次の文は20年前に観た同じ演目のスーパー歌舞伎版。
91年4月11日   新橋演舞場 所見
 作者の梅原猛は主人公の小栗をロマンの病を病む人と規定した。
 ロマンの病とは何か?それは自分が納得できることだけを求める行為であ
り、その已むに已まれぬ行為が結果として価値判断の違いによりマイナスの
評価をもたらすことがあるかもしれないが、逆にその行為は、最終的には暖
かい人間の血が迸り出ざるをえないような、そういう病であると思う。
 作者は、ロマンの病は、中世の民衆が彼岸に希みを託した願いであり、ス
ーパー歌舞伎「小栗判官」はその中世民衆の願いを現代のロマンに置き換え
たのだ、といっている。
 セリフは現代語で語られ、セリフもアクションもほとんど現代劇のように
スピーディに力強く展開され、舞台装置もきわめて象徴的抽象的だ。それら
の手法には現在のマイナー小劇場の発想と共通するものさえ感じられた。
 しかも宙乗りや早変わりなどのいわゆるケレンがたっぷりと満喫でき、興
奮と期待のビッシリ詰まった芝居の魅力が堪能される。たぶん歌舞伎の始ま
りはこのような感銘を当時の観客にもたらしたのであろうか。
 今売り出しの市川笑也は研修所出身のいわゆる素人さんで、素顔はごく普
通の若者なのだが、女形として舞台に立つと容貌といいスタイルといい実に
可憐な娘となって、本当にいい娘役なのだけれども、この度のお龍さんの役
はひと味違って内に激しい自己主張を秘めた美女を造形して新しい魅力を創
りだした。
 そういえば小栗役の猿之助だって、素顔はゴロンとしたおっさんなのに、
役を作って舞台に立つと、これがまた品のいい若い貴公子になって激しい立
ち回りや早変わりを演じて颯爽とした二枚目になるのだから不思議なものだ。
 ともあれ、すべてがきわめて現代的で今日的で、まさに今を生きる魅力あ
る現代劇そのものであった。
 横浜ポートシアターの「小栗判官」も、黒テントのそれも確かに観たはず
なのだが、その二つの印象がほとんどないのがなぜかとても不思議に思われ
るのであった。

                『風化』82号(1991年8月刊)所載