演目 おもいのまま
観劇日時/11.8.8.
企画・製作/トライアングルCプロジェクト
脚本/中島新 演出・美術・音楽デザイン/飴屋法水 
照明/黒尾芳昭 音響/zAK 
舞台監督/寅川英司+鈴木康郎(鴉屋)
美術コーデネイト/大津英輔+鴉屋
演出部/佐藤恵・坂本千代 小道具/栗山佳代子
演出助手/安ハンセム 衣装/杉本誠子 
ヘアメイクデザイン/勇見勝彦 写真/須田壱
宣伝デザイン/福田泰彦 
宣伝グラフイック/吉井純・高橋義太郎
制作/藤野和美・迫田予理子 プロデューサー/佐藤智弘
主催/北海道文化放送
制作協力/トップシーン札幌
劇場名/札幌市民ホール

人生の選択
 開幕前の雰囲気が異常だ。広い舞台の中央に豪華なリビングが設えられてい
るけれども、その周りは寒々とした裸舞台が見えて、舞台設営用の道具や備品
が整然と置かれているのが見える。さらにこの家の屋台が組まれているのだが、
それは象徴的に骨組みだけで、しかもその骨組みは古材で作られていてまるで
腐った骸骨のように見えるのも何らかの作意を感じる。
 そして開幕前の客席には、様々な音が流れているのだが、その中で多分でた
らめなメロディの口笛を吹いている音が鋭角的で気になる。最初それは、観客
の誰かが吹いているのかと思い非常識なヤツがいるのかな?と思ったのだが、
いつまでもそれが続くと、それは意図的な音響効果だと気がつく。
 そう思って聞いていると、土鳩や郭公の鳴き声など、おそらく人物の心証風
景を表したようないろんな有機音・無機質音もたくさん聞こえる。
 物語は、資産家で子供のいない仲の良い中年夫婦(=佐野史郎・石田えり)
の自宅に、ある夜遅く招かざる二人の来訪者(=音尾琢真・山中崇)が現れる。
 彼らはスクープ掘り出し専門の特ダネ記者を自認し、妻もTVで見覚えがあ
るという。
 二人は不作法にも上がり込んで、夫を保険金詐欺で我が子を殺害した殺人犯
と決めつけ暴力的に夫婦を追いつめる。
 夫には後ろめたさがあった。彼は障害児の息子を多額の保険金を掛けて殺害
したらしい。彼は自分で三代目となる会社が経営能力のなさから倒産寸前であ
り困窮していた。
 そのことを知った二人の特ダネ記者たちは、スクープを挙げるために夫婦に
とっては不条理な暴力をもって完全支配し、夫婦は、にっちもさっちも動けな
くなる。
 夫にとっては、おそらく覚悟の上なのだろうが往生際が悪い。観念しきれな
いのだ。そもそも、この往生際の悪さが、彼が経営する会社をここまで追い込
んだのだ。
 そしてついに、スクープを得た記者たちは証拠隠滅のために、二人を殺害す
る。
 ここで終わりかと思った。ところがここで一旦暗転、15分の休憩を経て次の
展開へと移る。
 これ以上は、サスペンスとしてはネタばらしになるので書きたくはないのだ
が、その説明をしないとこの評自体が成立しないので、あえて書く、以後の観
劇予定者には観劇後に読んでいただけると幸いであるのだが……
 さて第2幕は同じシチュエーションの物語が演じられるのだが、話の展開は
途中で記者たちの仲間割れになる。そしてここでは、夫婦は我が子殺害などや
っていないという設定である。
 縛り挙げられた夫婦は、知恵を絞って何とか外部に危急を知らせる。
 敗北を悟った記者の二人は逃走を図る。逃げた二人に寛大になった二人は、
亡くなった息子をこれからも偲びながら生きていくことに老後のある種幸せな
人生を想像してみる。
 この構成は、今年の4月に劇団「アトリエ」が上演した『悪いのは誰だ』に
酷似している。つまり一つの事件を両側から、それぞれの都合の良い方に解釈
して見せるという方法だ。
 この舞台では、それを夫婦側と特ダネ記者側の思いのどこがどう違うかとい
う問いかけになっているようだが、実は見方のよって事実はどうにでも解釈さ
れる、という風にも受けとれるのだ。どちらが真実なのか結局分からないとい
う風にも受け止められる。
 タイトルにもなっているのだが、「思いのままに出来る人生の選択もあった
なあ」という慨嘆は僕には無意味だと思う。
 僕は流れに沿って淡々と自分の選んだ人生を楽しみに生きていくしかないと
いう楽観論者なのだ。もちろん選択を誤ったかなという経験は何度かある。だ
からこの夫婦が普通なのか僕が楽観的すぎるのか?