演目 東京原子核クラブ
観劇日時/11.6.8.
劇団名/俳優座プロデュース
上演形態/旭川市民劇場6月例会
作/マキノノゾミ 演出/宮田慶子 美術/横田あつみ
照明/中川隆一 音響/高橋巌 衣装/半田悦子
舞台監督/樽真治 演出助手/松森望宏 イラスト/伊庭二郎
宣伝美術/ミネマツムツミ 企画制作/俳優座劇場
劇場名/旭川市公会堂


選ばれた人の苦悩と歴史の宿命
 この舞台、06年7月に東京・俳優座劇場で観ている。実はもっと
ずっと20年くらいも以前だったように思っていたのだが、調べてみ
たら意外に最近であったのに驚いた。
 今回の観劇に当たって、前回の感想を引きずらないようにするた
めに、そのかつての観劇記は読まずに素直に今回の感想を書いてみ
ることにした。
 記憶では、ノーベル賞受賞者の朝永振一郎氏の若いころを描いた
一種の伝記物語である。だから戦前の東京の若者たちの苦労と挫折
と希望の話であり、80年以上も昔の若い人たちの、青春群像であっ
たような気がする。
 さて……
 朝永氏をモデルにした友田晋一郎(=田中壮太郎)は原子物理学
者であった。後年、親友で同僚でありながら目立った業績を挙げら
れずに教員として去った小森(=佐川和正)に、「君は神のような
存在だった」と言われて、友田は「努力はみな同じだが、僕には一
瞬の閃きがあった。それは、おそらく神に選ばれたことであろうが、
むしろ苦難はそれから始まった」と言い、決して驕らなかった人生
を反芻する。
 そして戦後、下宿の娘・桐子(=小飯塚貴世江)に「広島・長崎
の被爆を聞いた時、どう思ったか?」と聞かれて「しまった、先を
越されたと思った。その時には現地の状況を想像する余裕がなかっ
たことは事実だ」と答える。
 これは朝永博士の言葉として事実なのかどうか、それとも今回の
原発事故の経験を経て作者が書き足した台詞なのかどうかも分から
ないのだが、まさに明らかに、現代の原発の辿った歴史の原点を追
認しているような正直な発言である。
 もちろん基本は前回に感じた通り、若者たちの青春群像である。
だから青春独特の悩みと挫折と希望の記録である。そこに科学者と
しての宿命を自覚する台詞が追加されたのかどうかは別として、強
く訴えかけるインパクトがあったのだと思う。
 そしてそこから原子力平和利用の国策が始まったと思うのだが、
果たして朝永博士はどう思っていたのか気になるところではある。
 それともう一つ思うのは、このように時代が変化するとともに戯
曲のインパクトも変化していくのが自然であり、かつ良い戯曲が新
しい演出によって生き残るための変化でもあるということがハッキ
リと見えるということである。
 1920年代の若者の心の葛藤が、それから80年以上も経ってい
るのだが、この大事な主題(=歴史の宿命)と副主題(=青春の挫
折と苦悩)は、近代古典として重要な要素であり、こういう一種の
近代古典は守り育てていく必要が大きいと思われ、そういう意味で、
この上演は大きな意味があったのだ。
 映画評論家の秋山登氏は、11年6月10日の朝日新聞に「寓意とメ
ッセージ」と題して、映画『テンペスト』の評の中で次のように述
べて現代に生きる古典の存在意義を述べている。
 「シェークスピア作品の特色の一つは、その多くが時代に添って
自在に翻案されていることだそうである。骨格が強固だからこそ、
そのときの時代に添った演出が出来る」。
 すべての作品の存在意義もそこにあると思われ、そういう作品こ
そが存在する意味があり、古典として長く生きる力を持ち得る命が
あり、近代の作品も現代の作品もそれは同じことだと言わざるを得
ないのである。
 出演者 ニセ東大野球部員=石井テルユキ
 ピアノ弾き=若杉宏二・フリーター=西山水木
 友田の先輩=田中美央 下宿の主人=二瓶鮫一
 新劇青年=壇臣幸 海軍中尉=渡辺聡
 理化学研究所主任研究員=外山誠二
 東大野球部員=佐藤滋

   ☆

 「宿命」と「運命」とは微妙に異なる。「宿命」には宇宙・人類
・国家など間口の大きさ、従って時間のスケールの長さが感じられ、
人間の力ではどうしようもないという気がするが、一方「運命」は、
個人・家族・集団などの間口の狭さ、従って時間のスケールに短さ
が感じられ、意志によって変更されうる可能性が予想される。
              (18号所載『業晒』より一部分転載)