演目/カラクリヌード・マスクド

観劇日時/11.1.29.
劇団名/すがの公ワークショップ公演
主催/ハムプロジェクト・すがの塾
脚本・演出/すがの公 助演出/彦素由幸 
衣装/井嶋マキ子 メイク/天野さおり
出演者/相子佳子・小野寺美穂・菅野子慧・武田明菜・
坪井有里沙・飛世早哉香・富塚花衣・楢山美樹・
松下綾華・村田ひろ美・阿部翔・大澤恵衣・岡部宇洋・小川しおり・木山正太・後藤克樹・瀬川圭介
劇場名/シアターZOO

肉体派演劇

 
作品を創る側の様々な厚い想いと全く関係もなく、観る側には観る側のそれなりの想いがある。
 演出者でもある作者はこの舞台に新しい仕掛けを考えているらしい。その意図は分かるけれども、結果は舞台成果で判断するのみである。
 何もない真っ暗な舞台に、赤と白との布地で造られた一人一人のデザインが微妙に違ったユニフォームのような上着を羽織った登場人物が左右の舞台脇に佇んで開幕を待つ。それはまるで芝居の始まりを待つ、心を持たない登場人物である人形のようでもあった。
 そうなのだ。彼ら彼女たちはロボットあるいはアンドロイドなのだ。地下六千メートルの地下で軍需用の特殊鉱物資源を掘削するための人造人間なのだ。肉体の60%はクローン人間であり、後の40%は鋼鉄製の人造人間なのだ。
 地上六千メートルの高層ビルの最高階には、同じユニフォームを着用した特権階級である本物の人間たちがいる。
 人間の心に目覚めつつある人造人間たちは、恋をし嫉妬をし反抗する心を持ち始める。だが所詮、人間の道具として造られたアンドロイドでしかない。静かにその物体としての生命を閉じていく。
 これは人間と人造人間との物語でありながら、人間社会の階級や格差を象徴している話とも受け取れる。だがこの舞台の主眼は、おそらくその表現方法にあると思われる。
 様式化された衣装と演技、何もない黒いだけの空間、シュプレヒコールのような合唱は絶叫であり、そのほとんどの意味内容は聞き取れない。対照的に人間の心を持っていきつつあるロボットたちと人間とのウエットな対話、そして個性を消し去るように彩られた顔面の彩色、これがマスクの謂われなのだが、残念ながら小学生のいたずらのような顔面ペインテングであり夏休みの工作のようなキャップであり、インパクトは弱い。
 総じて新しい表現を目指しながら、分かりにくい形の物語を語っているに過ぎない舞台になった。だが何かを求める冒険は貴重であり、そこへ集う若い大勢の新人たちの何かを求める強い心は大いに共感するのであった。
 ラストシーンは全員が固まって、何かをシュプレヒコールのように絶叫するので、具体的に何を叫んでいるのかは分からない。
 だが、最終的には全滅するらしく崩れ落ち転倒して動かなくなる。最後に静かに起きあがった一人の人間が「幸せはある、神は居る。ただ何処に居るのか分からないだけだ」と呟く。
 一人の女のロボットが多分、携帯電話を象徴する小さなペンライトを静かに振って、「ハロー、ハロー」と呼びかけると周りに座り込んだ全員が、やはり同じような小さなペンライトを振りながら「ハロー、ハロー」と呼応する。
 全体の話の流れと、個々のエピソードとが必ずしもフイットしていないような感じもするが、それはあまり気にすることでもないのかもしれない。要は役者たちの存在を肉体が表現する一つの実験でもあるかもしれないのだから……「カラクリヌード」というタイトルがおそらくその肉体性に拘る意図を表しているらしいのだから。
 全編に流れるギター弾き語りのフオーク調の音楽と共にいささかロマンチックな仕上がりだったが、若い冒険に充ちた熱演は好感が持てたのだった。