後 記
29号に関する読者の方からの指摘と疑問

『イナダ組』の『たくらん』について。 10年8月31日
ラストシーンで、―兄の直也は、父の愛した広大な庭園を眺めながら弟の拓巳
に向かって「もう一度この庭に昔のように野鳥がいっぱい来るようにしたい…
…」と呟く。―と紹介した
この文章に対して、この台詞は兄の直也ではなく弟の拓巳の言った台詞である
と指摘してくださったのは、札幌・琴似のレッドベリースタジオ主宰者である
飯塚優子さんである。
僕はまったく間違って記憶していたらしいのだが、この台詞が、兄の直也が言
ったのか弟の拓巳が言ったのかで、この戯曲の本質が大きく変わる可能性があ
る。
直也が言った場合には、疑惑をすべて隠蔽したいという身勝手さが垣間見える
が、弟の場合、平穏な以前の人間関係に戻りたいという願望が見える。
おそらく僕は、観客の願望として無意識に兄の台詞だと記憶してしまったのか
もしれない。



一人芝居について 10年9月2日
「渡辺美佐子の『化粧』を評価したのは意外であり、他の一人芝居とどこが違
っているのかもっと知りたい」と仰ったのは、大衆演劇研究家で横須賀在住の
原健太郎氏である。
一人芝居については、以前に僕の分類を紹介しているが、それによると
@ 演者がある人物の来歴や境遇や心境などを一人称で語るもの。
A 架空の相手役を対象に関係を演じるもの。
B 一人の演者が複数の役を演じるもの、
という3つの表現法が基本になっていると思っている。
@は演劇的な葛藤による人間関係の変化による訴えかけが弱いという決定的な
欠陥がある。 A は相手役を出さないだけという手抜き感が強い。 B のみが
演劇としての魅力が感じられる。と考えている。
『化粧』は A の表現法だが手抜きと思わせない力量があるということだ。
「Aには相手が言ったであろう台詞を繰り返して観客に話の内容を分らせよう
とするのだが、それが煩わしく観客は相手の見えないことに苛つくのだが、渡
辺美佐子は同じように演じても、ちっともくどく感じられない。ごく自然に会
話を紡いでいるように見えるのが不思議だ。やはり役者としてただ者ではない
のであろう」と思う。



演劇祭について 10年11月11日
演劇祭については先号にも書いたが、今月に入ってから『FICTION』の
『ボノボ』を観たら、作者で演出の山下澄人氏がパンフレットの中で、札幌劇
場祭に参加はしたけれども、審査対象にはエントリィしなかった理由について
「競うのがイヤなのです。競わされるのがイヤなのです。芸術は争いとは対極
に位置しています」とあった。
僕も、「芸術は争いとは対極に位置する」という考えには全く同感する。札幌
劇場祭に参加しない僕の好きな劇団も少なくても2劇団があり、おそらくその
ほかにもあると思うし、それはとても大事なことであると痛切に思うのだ。
ではなぜ僕がこの劇場祭に参加・協力したのかというと、演劇や劇場に対して
もっと多くの関心と興味とをもってもらうための一種の宣伝的な事業だと思っ
たからだ。僕が劇評というか観劇の感想を書くのも、それが理由であった。
もともとは自分の忘備録だったのが、発展して友人たちに報告するようになり、
そして現在では演劇関係者はもちろん、縁の遠い方々にも関心をもって頂き劇
場へ行っていただきたいという念願であり、演劇の布教師を自認したいと思っ
ている自虐的に言えば自己満足の行為なのだ。



宿題と小心 10年11月11日
一つの舞台を観ていろいろと考える。そのとき様々な既読の文章を思い出した
り、その後関連のある文章を読んだりすると、それを取り入れたくなる、引用
というよりも、補強や反論だったりする。
そういう資料がいつも机の上に山積している。そして時間が経つと大したこと
もないかなと、強引に諦める。
でもいつも心のどこかに引っ掛かってスッキリとしないまま日が経つ。やっと
宿題にしようと、それらの資料を纏めるのだが……力不足を痛感しつつこの資
料をどうするのかと悩む。
ましてや劇場祭に参加して、作品の優劣を付けるなんてとても出来ないことだ
と弱気になる。スケールは全然違うが、裁判員裁判の裁判員に選ばれた普通の
人たちの心境だ。
そんなに難しく考えずに、自分の趣味嗜好で好きか嫌いかを選別すれば良いと
いう考えもあるのかも知れないが、なまじ自分でも舞台を創った経験があるだ
けに、そうは簡単には決められないと思うと、小心の僕は大いに悩むのだった。
宿題と採決とに挟まれて小心翼々、何も考えずに自分勝手に一人、演劇の醍醐
味に浸りたいと切に思うのだ。



発行遅延のお詫び 10年12月23日
今号の発行が大幅に遅れました。原因を言い訳すると、11月から12月の初旬に
かけて、札幌劇場祭に関わったことでした。
当初は、迂闊にもそれほどのこととは思わなかったのですが、実際に参加して
みて肉体的にも精神的にも考えていた何十倍もの負担であることが分かってび
っくりしました。
だがその負担以上に得るものも予想以上に大きくたくさんあり、今はこの『観
劇片々』30号が遅延している何倍もの収穫の喜びをかみしめているところです。