映画 キャタピラー
鑑賞日時10.8.31.
製作・監督/若松孝二
プロデューサー/尾崎宗子 脚本/黒沢久子・出口出
ラインプロデューサー/大日向教史
撮影/辻智彦・戸田義久 照明/大久保礼司
音楽プロデューサー/高護 録音/久保田幸雄
編集/掛須秀一 美術/野沢博実 衣裳/宮本まさ江
配給/若松プロダクション・スコーレ株式会社
劇場名/札幌・狸小路・「シアター・キノ」

戦争の本質を裏側から炙り出す
最初にこの映画の紹介記事をみたとき、すぐにこれは江戸川乱歩の短編小説
『芋虫』が原作だと思った。だが、なぜ「キャタピラー」なのかは分からな
かったので、辞書を引くと「キャタピラー」は「芋虫」の英語であることを
知った。
確かに無限軌道のキャタピラーは芋虫の動きに似ている気味の悪い動きだ。
戦車はその気味の悪い芋虫によく似ているともいえる。
つまり乱歩の『芋虫』を、戦争を象徴する戦車であるキャタピラーに置き換
えて「反戦あるいは厭戦」の思想を表現しようとしているのだろうと思われ
る。ここまでを実際に映画を観る前に考えた。
映画は、そんな理屈をぶっ飛ばしていた。もっともっと生臭く、遣りきれな
かった。正視に耐えないという感じであった。人間であることを拒絶したく
なるような物語でありリアルな描写であった。妻の寺島しのぶと同様に、い
やそれ以上に軍神の大西信満の存在が凄かった。
戦場での無茶苦茶な行為が、咆哮と悲鳴だけのサイレントのような画面で悪
夢のように描き出される。
「芋虫」である軍神、つまりこの映画のキャタピラーも最後は人間であるこ
とを拒絶する。それが戦争というものの正体なのだということを示すのだ。
暗い薄闇の中で灯る行灯の火の中に、キャタピラーとなった軍神が中国で陵
辱した行為を思い浮かべることが自己否定のきっかけであり、それを起こし
た戦争否定のきっかけになっていく展開が救いであろうか。