演目 パンドラの鐘
観劇日時/10.8.2.
劇団名/北翔大学舞台芸術1年目試演会
作/野田秀樹 演出/進知樹 制作総指揮/村松幹男
スタッフ27名 キャスト18名 全員学生
劇場名/北翔大学カレッジホールPAL6階

真摯な若者たちに拍手
古代の遺跡を発掘研究し推測した古代史の流れと、第二次世界大戦を巡る当時
の日本の施政者たちの確執とが、ダブルイメージになっている壮大な叙事詩。
そして開けてはいけないパンドラの箱を想像させる古代の巨大な鐘は、原爆を
象徴している。
二重台を組んで、その上は発掘する人たちの上下(かみしも)二つの出入り口
だけという、ほとんど何もない舞台で、人が2・3人も入れるような大きな吊
り鐘だけが、人を隠して釣り上げられたり、降ろされたときには無人だという
マジックのようなインパクトの強さで話は進む。
野田秀樹特有の一筋縄では理解しがたいダイアローグやレトリックは、うっか
りすると全体を見失う。
僕は初演の蜷川幸雄の舞台を観たが、あの物量作戦とでもいうような絢爛豪華
な舞台、今日の舞台はそれに負けない真摯さと必死さが充分に伝わって好感が
持てた。
あの時は前評判が異常に高く、同時に別の劇場で上演された野田秀樹本人演出
の舞台は、チケットが入手できずに観ることは出来なかったのだ。
周りのマスコミが煽って、付和雷同する観客たちにずいぶん不愉快な思いをし
て、「そんなもん観るか!」 と逆切れしたのを憶えているが、そんな経験が
この舞台で、やっと本当の良さを実感したのかもしれない。
そういう機会を創ってくれたこの若い集団には感謝したいと強く思う。
硬質で地味で動きの少ない芝居を、エネルギッシュにきっちりと演じたのだが、
若い学生たちがこういう芝居をやろうとした意気とその力技とに感じ入り、ど
ういうモチーフでこの舞台を創ったのかを聞いてみたいと思うのだった。
ちなみに当時の観劇記(99年12月シアターコクーン・所見『観劇片々』改題
『客席から』通巻第6号=00年8月1日発行)を一部抜粋して紹介する。


天皇の戦争責任を問うた問題作?
(略)
台本を読んだとき、この鐘が余りにもあからさまに長崎に落とされた原爆その
ものであったために、いささか興をそがれて観る気を失っていた。
(略)
現代の長崎で、古代の遺跡を掘る考古学者たち、時代がワープすると同じ場所
が古代のある王国となる。ここで戦争とクーデターに明け暮れする国は、昭和
20年までの日本国そのものである。
狂気を装う王(紙を丸めた遠眼鏡を持つのは大正天皇のエピソードの引用か?)
やその妹・ヒメ女(=大竹しのぶ)を擁立する一派。その名もパンドラと称す
る鐘は原爆であり、それを巡るやりとりはきっと昭和天皇の戦争責任を問うて
いるのだ。
葬儀屋のボス・ミズヲ(=勝村政信)は、あのとき「水をくれ、水を……」と
いう大勢のあの声が彼の原点であり、そのために葬儀屋となりミズヲと名乗る
のだ。
その他「狂という字は獣偏に王と書く」とか「大事なのは、時間を埋めるため
に掘ること、穴を掘って時間を埋める、時間を埋めてはアナを掘る」などなど
奇抜で興あふれる警句が頻発する。鬼才の面目躍如だが、こういう部分は戯曲
で読んだ方が面白い。
しかしそれにも係わらず、芝居全体としては躍如として生きた舞台であった。
巷で言われている通り、野田戯曲を蜷川演出が生き生きと絵解き舞台化したた
めだろう。(略)
   ☆
そしてこの前後にチケットの入手が困難なことを再度3度に渉って書いている。
よほど恨み骨髄に達していたのだろうか?
これを今読むと、ずいぶん的確に観ていることが分って現在の自分がいかに読
み取り不十分なのかが反省される。
もしかして今日の若い人たちの表現が荒っぽかったのだろうか? と人の所為
にして難を逃れようとする。
今日観ていて気が付いて面白かったのは、「穴を掘って時間を埋める」という
言葉は「事実を時間で風化させる」ということで、逆にそういう風潮を警告し
ているのだろうと思われ興味深い。