演目/珊瑚の指

観劇日時/10.3.28.
劇団名/Real I s Production
作/伊藤樹 演出/斉藤麻衣子 照明/相馬寛之 
音響/若林宗由 衣裳/高橋綾香 
美術/高村由紀子 舞台監督/高橋詳幸 
演出助手/竹原圭一 宣伝美術/若林瑞沙
web制作/高橋由衣 舞台スタッフ/米澤春花
衣裳アシスタント/櫻田悠水
制作/籔内佳子 プロデューサー/ヨコヤマカツトシ
劇場名/札幌・中央区・BLOCH

複雑な人間関係にみる一種の構図

 
短冊形の半透明の用紙に濃い青の地色、それに被せて同じ色のインクで刷られたフライヤー、さすがに日付・時間などは、遠慮勝ちではあるが裏の透けた裏面に黒で印刷されているのが何とも見ずらくて苛立つ。
複雑で絡んだ薄暗い登場人物の関係性を暗示しているがごときフライヤーとも言えるのかもしれない。
妙子(=伊藤若菜)が住む一室は、基本舞台のBLOCHの両袖を広げて、3倍くらいの横長の舞台を造った。それは逆に奥行きを浅く感じさせるのだが、如何にも贅沢だがガランとした人の気配の薄いマンションの雰囲気を感じさせる。
上手(かみて)が寝室でだらしなくベッドが乱れている。下手(しもて)は出入り口のドアで室内はキッチンであるが、ここもあまり生活臭は感じられない。冷蔵庫の中も氷と水以外には何もない暮らしは、この部屋の住人の性格が見えるような舞台装置である。
冒頭、薄暗いその部屋には5人の登場人物と思われる男女が膝を抱えて蹲り、しばらく静止のあと、一人がコロンと転がる。そしてそれが伝染するように次々と全員が転がる。また起き上がるのだがしばらくするとまた一人ずつ転がって、やがて起き上がるのだが、相変わらず蹲るのだ。
それはまるで人々の存在が不安定であることの象徴でもあろうか、身体表現を重視する演出者・斉藤麻衣子の真骨頂であろうか、このような会話主体の台詞に重点を置いた戯曲を、このように表現した手腕が感じられる。
やがて通常の照明が入って物語が始まる。たぶん夕方、物憂げに何かを整理している妙子の所へ、起き抜けにシャワーを使ったらしい紘(=大原慧)が出て、妙子の見ている書類のようなものや写真を見ようとする。妙子は邪険にそれらを取り上げ隠す。
今夜は、妙子が以前に付き合っていた男が自死して1年目、その男の親友で妙子を紹介した了(=杉野圭志)とその妻・美奈代(=榮田佳子)が来て追悼の夜をするつもりだ。
その男はやがて妙子の元を去り、別の女性と共同生活をするようになったのも元はといえば了が絡んでいる。
それを知らなかった紘も、わだかまりを持ちながら参加せずにはいられない心境だ。夜のバイトを急遽休みにする紘。
今夜、追悼会をすることを万事承知の上で、紘を泊めた妙子の心境……泊められた紘の思い……。
意外な人物・紘がそこに居たことを知った了と美奈代の感慨、この夫婦はすでに愛情を失った仮面夫婦らしい。
それでも何とか飲み会は始まる。酒豪の妙子は日本酒や泡盛を豪快に飲む。だが何か平静ではいられない。誰彼ともなく突っかかる。
無理に飲みすぎた紘は悪酔いして嘔吐の挙句、潰れ寝してしまう。
そこへ妙子の妹・瑠璃子(=原田充子)が、父との不仲を理由に妙子の部屋を訪ねて来る。妙子はなぜか彼女を拒絶する。瑠璃子も、かの自死した男と関係があったらしいのだ。
かの男は、スキンダイビングが好きで、自営業の行き詰まりの末、沖縄の海へ行って自死したのだ。妙子が贈った指輪はその男の指からその時から紛失していた。
わだかまりを抱えて三人が帰った後、紘は妙子を抱く、そのとき紘は指に在った指輪を妙子の指に移す。だがそれは妙子の指にあった指輪を紘の指に移したのだろうか?
複雑に絡んだ男女の関係は、すっきりと解けないまま次の展開に持ち越されるだけなのだが、考えてみるに男女関係だけではなく一般の人間関係や、大きく言えば集団の関係や国同士の関係性までをも象徴しているのかもしれないのだ。
06年の『怪獣無法地帯』の定期公演でも観たのだが、その時はそこまでは考えなかった。そしてそのときは1時間足らずの小品だと思っていたが、今回の上演は1時間40分以上の上演時間だった。
終演後に時間をみたら、そんなに長く掛かっていたとは思われない緊迫感があったので驚いたのだが、台本自体は書き足されていたのかどうかは分らない。
一種の風俗劇の装いで、様々な個性の関わりの危ふさを感じさせる社会劇の側面を持つ舞台であった。
伊藤若菜のアンニュイな存在は、妙子の性格なのだろうが、それを持て余すというか、自己操縦しかねるこの人の存在の悲劇を感じさせる好演であった。
それはその他の登場人物の全てに当てはまる悲劇で、生半かな努力や自覚ではどうにもならない悲劇なのであろうか?
俳優たちは、それらのどうにもならない存在を的確に表現していたと思われる演技であった。笑いに紛らわせざるをえない榮田佳子の大人の対応も納得のいく存在だ。
重く哀しく覆う悲哀が、重苦しい1時間40分に亙る観劇後の後味であった。そしてそれは舞台を観ている内にだんだんと、そしてどうしようもなく観客の胸に染み渡ってくる類のものだ。
僕が観たのはマチネで、劇場を出るとまだ賑やかに活動中の街中へ放り出されて酒を飲まずに居られなかったのだが、これがソワレで静かな夜の街へ出たのだったらどうであっただろうか? この虚無の世界に耐えられるであろうか? とフト思わざるを得なかったのだ。