演目/谷は眠っていた

観劇日時/10.2.2.
劇団名/富良野GROUP
作・演出/倉本聰 演出補/平木久子 演出助手/城田美樹
音楽/倉田信雄 音楽協力/井上尭・神山慶子
歌/紺屋梓 舞台監督/小林彰夫 技術監督/九澤靖彦
照明/広瀬利勝・遠藤大輔・綱島浩一・藤田良徳
音響/三浦淳一・松田彩 小道具/筆本聡
美術協力/横島憲夫 マイム指導/岡野洋子
ダンス指導/木下弘美 メイクアップ/荒丈志・前田みのる
映像協力/北海道文化放送 記録/松木直俊
制作/寺岡宜芳・太田竜介・家に山一也・政野美知代
生駒恵子・小野坂貴志・藤田美緒
劇場名/富良野演劇工場

熱い男たちの熱い話

 
今年3月で倉本聰の私塾である富良野塾は閉塾されるが、26年前のその塾の創設当時の塾生たちの熱い物語りである。
そもそも僕は倉本聰という人はとっても熱い男だが、その戯曲は熱すぎてドラマとして成熟していない、講演か説教のようだと思ってきた。それでも、調べてみるとこの4年間に4本の富良野塾またはその後の富良野GROUPの舞台を観ている。いずれも倉本聰作・演出である。
それらの感想を読み返してみると、思ったより否定的ではなかった。ちょっと意外であったけれども、次にその僕が観た4作品の感想の要点を抜き出してみる。
まず今回と同じ演目「谷は眠っていた」である。おそらく戯曲は今回とまったく同じだと思われる。全体を、中年になった売れっ子の脚本家(=久保隆徳)が、若いころ(=水津聡)の塾の生活を回想するという大枠で囲われているのが加筆された部分であろうか、このときは、このシーンは無かったような気がする。
     ☆
『谷は眠っていた』07年2月16日  『続・観劇片々』16号
(略)トップシーン、(略)カラフルで静謐な中に込められたエネルギーが感じられ、これからどんなドラマが始まるのかドキドキするような期待感が高揚する。
(略)すべてが塾生たちの苦労話なのだが、それは事実を語っているに過ぎず、人間同士の葛藤の物語りにはなっていないのだ。(略)登場人物が41人と多いが、ほとんどドラマとして絡んでこない。まさにこれは悪い意味での一人芝居だ。(今回註=自分が自分ひとりで、自分の想いを語るだけの表現としての一人芝居)
ラスト近く、アキレス腱を切った女を巡ってドラマが起きかかるが、いつの間にか妥協したような感じで曖昧に霞んでしまった。(略)
富良野塾の起草文に「石油と水・車と足・知識と智恵・批評と創造・理屈と行動」の五つの対比を挙げて、文明を批判している。
確かに富良野塾は、基本的に過度の文明に頼り切る現代人の猛省を促していて、そのこと自体には賛意を表するに吝かではないが、気になるのは「批評と創造」を(今回註=他の四つの対比と同じ次元で)対比させたことだ。(略)
それと、富良野塾は文明を全否定しているような印象があるが、行き過ぎた文明を批判する役割は貴重だが、文明は使いようだと考える。(後略)
     ☆
『にんぐる』07年6月13日     『続・観劇片々』17号
(前略)
人類終末の危機に対して焦慮感が強すぎて説教調に感じられてしまう。(略)押し付けの感が強いのが困ったことだった。演劇は説教や論文ではない。時代のナビゲーターだ。教え諭されたら反撥する。演劇やってる場合じゃないだろ? となってしまう。事実、全共闘の時期にそれを経験した。
(後略)
    ☆
おそらくこのときに従来の違和感をさらに強く感じたのではないのかと思われる。
     ☆
『屋根』09年2月22日       『続・観劇片々』24号
(前略)
苦労した割には恵まれない明治人気質な両親の一代記だが、ドラマというよりはエピソードの積み重ねの絵巻物のような構造だ。
若い頃、近くのタコ部屋(人間性を無視し金で縛られた強制労働者の監禁施設)を脱走した労務者を助ける挿話があるが、それから70年後、年老いた夫婦の元に功なり名を遂げたその時の労務者が尋ねてくる。
夜逃げ準備のドサクサで応対もままならぬ二人の元を、お礼の箱を置いてひっそりと立ち去る往時の労務者。気が付いて箱の蓋を開く二人。ここで観客はある程度の金銭が出てくるだろうと期待する。だが借財は一億五千万円……
中から出てきたのは、彫刻家として成功した彼が、金銭には換えられない真心として精魂込めて刻んだ、若い日の夫の彫像であった。僕はここに初めて作者のメッセージを受け取った。そうなのだ、台詞じゃないのだった。
様々な文明批評の台詞が続出するが、演劇は論文や講演じゃないのだ。登場人物たちの心の葛藤なのだ。このシーンでそれを感じられなかったら、この舞台は俳優たちの見事な演技力を堪能する講演会でしかなかっただろうと思う。
(後略)
     ☆
『歸國』09年7月3日        『続・観劇片々』26号
(前略)
今まで倉本聰の戯曲は、悲憤と議論と説得の展開であって、
何だか演説を聴かされているような気がし、それは演劇じゃないよと思ってきたのだが、前回の『屋根』のときちょっと違ったかなと思って、今回のこの『歸國』によって、葛藤する芝居が観られ、こういう戯曲が優れた表現技術を持つ富良野塾のスタッフ・キャストによって舞台化されることを大いに評価したいと思った。(後略)
     ☆
この流れで観てくると、演出力と鍛え抜かれた俳優たちが、良い舞台を創りつつあるという過程を実感する。
今日この舞台を観て思ったのは、若々しいエネルギーとスピードそして表現力の重厚な魅力であった。
前回と違ったのは、中年脚本家の原点を見直す視点と、卒塾生たちに贈るメッセージが感傷ではなく、自分たちが過ごした富良野塾の精神を思い起こせというところに熱さが溢れていたことであろう。
富良野塾出身の演劇人たちは全国各地で活躍している。劇団一代論というのがあったが、富良野塾直系の人脈はどこへ行くのだろうか?
その他、出演者35名は省略。