演目/緑色の犀

観劇日時/10.1.24.
劇団名/実験演劇集団「風蝕異人街」
創作/三木美智代=イヨネスコ『犀』より
監修・照明・音響/こしばきこう 音楽/MIKI
制作/実験演劇集団「風蝕異人街」
スタッフ/平澤朋美・李ゆうか
劇場名/札幌・中央区・栄輪ビル内「アトリエ阿呆船」

イヨネスコと舞踏の交錯

 
作者=三木美智代はチラシでも当日パンフでも「集団的ヒステリー、集団の流行病に反対するもの」「そこに翻弄される市民を描きたい」「人間の根底にあるもの、その闇を描く」と言っている。
イヨネスコの『犀』とは、ある日突然次々と犀に変身していく人間たちの滑稽さ、グロテスクさを描いているが、「犀とはファシズムの象徴である。」と言われているようだ。
そのほか様々な解説が書かれている。そして舞台は冒頭でMIKIが台本を読むスタイルで戯曲の核心部分を朗読するのだが、ここまで懇切丁寧にやられるとこの戯曲の持つ既存のテーマに絞られすぎて観客の想像の余地がない。
だが、この二人分の台詞を一人で読むMIKIの独特のいわゆる「風蝕異人街」節は、リアリティがない不自然なイントネーションなのだが、なぜかこの場合は逆に妙なリアリティと訴求力が感じられて不思議な感覚を味わったのだった。
舞台はその後、UUNOとAARAの二人のダンサーの暗黒舞踏風の苦難の踊りと、MIKIの自虐的ダンスが交錯する。すべて肉体を痛めつけているような感じだ。
これは出演の三人が犀になっていく市民たちを象徴しているのだろうが、事前の解説がないとかなり厳しい。
『犀』のように物語がはっきりしている戯曲をダンスにする場合、結局は解説になってしまう。折角の独特の技術を生かすためには何かの工夫が必要ではないだろうか。
「風蝕異人街」にはきっと何かがあると信じて毎度観劇に訪れるのだが、そしてきっと何かがあるのだが、まだまだ安定してはいない。いやその安定のなさが実験演劇そのものであるのだろう。