演目/コーヒー入門

観劇日時/10.1.21.
劇団名/劇団東京乾電池
作/加藤一浩 演出/柄本明 舞台監督/青木義博 照明/日高勝彦 音響/原島正治 音楽/朝比奈尚行 宣伝美術/蛭子能収 美術/柄本明 衣裳/宮本まさ江
劇場名/札幌・シアターZOO

大物語を予想させる小物語

 
平凡な別荘地に建つ小さな建売の別荘家屋。不動産詐欺にあった中年の夫婦(=柄本明・上原奈美)は同時に職を失った。そしてややこしいことに同じ被害に会った別の見知らぬ夫婦・寿福栄と凛(=あさひ7オユキ・俳優名不記載につき不明)と同居せざるを得ないことになる。
寿福栄は、高齢だが妻・凛は20代、まるで祖父と孫娘だ。栄は何かにつけて趣味のコーヒー淹れに没頭、薀蓄を垂れ流したり架空の地図つくりに夢中な変わり人だ。
当然、この二組の夫婦は中々意思の疎通が難しい。衝突寸前で何となく収まるが、またすぐ意見の食い違いが生じる。
延々とその二組の夫婦の確執の顛末が描かれるが、途中から話は変な方向へと進む。妻たちが何故か入れ替わるのだ。それは本当に夫婦交代したのか、単に衣裳を取り替えたのか? もともとサラリーマンの妻は典型的な奥さんであるが、極端に年齢の離れた凛はちょっと古いが、いわゆるヒッピー風だ。それが入れ替わるんだから奇妙で不思議な感覚だが、見慣れるとそれはそれで、しっくりと感じられるのが意外でもある。人はそれぞれそんなに変わっているわけではないということか、あるいは表面をどんなに変えても中味は変わりない同じような人格でもあるということか……
サラリーマンの夫はときどき、他の人には聞こえない様々な音楽を幻聴する。盆踊りの歌の時は自然に踊り出したり、フオークダンスの音楽の時には、やはりフオークダンスを踊り出したり、クラシックの時にはコンダクターの真似をしたり、奇妙な行動を起こし、フト音楽が消えると我に返る。
不条理の存在に対するこの男独特の抵抗としての幻聴でもあるのか……
全編、含み笑いで繋がれる展開だが、考えてみると、この小物語は世界や社会を象徴するという意味で、大物語に通低する要素の強い舞台である。
例えば世界の各地には、自分の意思で自分の住む所を選べない人がたくさん居る。そしてその中で貧困や宗教や主義・思想の違いなどでの圧迫や闘争のために、人間らしい暮らしを失った大勢の人たちの存在があるという事実を思い出させる内容だ。
寓話とは、大物語を象徴する小物語であろうか、そういう意味でもこの芝居は現実世界のアレゴリーなのであった。
ラストで中年失業サラリーマンの息子が、道に迷ったらしく尋ねて来るのを迎えた寿福栄は、対応しながら「ここは何処? 僕は誰?」と呟く。自分の存在の現実を見失った人の浮遊感に充ちた懐疑の言葉だ。
開幕を知らせるのは、舞台裏から4人が声を揃えて「コーヒー入門」と叫んだり、チャチな如何にも作ったと思われる小鳥の鳴き声を流したり、この別荘が小さな真っ白の切り抜きだったり、なにか全てが寓話っぽいのもその雰囲気なのである。考えれば、柄本明という演出家はこういう演出方法の舞台が得意であったような気もする。