演目/椅 子

観劇日時/09.12.24.
劇団名/シアターZOO
作/ウジエーヌ・イヨネスコ 翻訳/安藤信也 
演出/斎藤歩 
劇場名/札幌・中央区・シアターZOOスタジオ1

違った見方

 
全体の印象は何度観てもほとんど変わらないが、今回新しく発見したのは、老人(=鎌内聡)の強烈な思い込みと実行力は、意外と老妻(=原子千穂子)の、そそのかし、あるいは老妻の意図による老妻の思い込みによって事が進んだのではないか? という見方もできるということだった。
これは二人の役者としてのキャリァによってそのように感じられたのかもしれない。演劇とは不思議なものだ。
僕の解釈によれば、この二人の行為は、老人の亡霊がこの世に残した心残りを実現するための夢か幻の行為であり、前回までに何度か観たときには、弁士は老夫婦が入水した後にそれが意味のない行為だということを証明するために出てきたと思っていた。
ところが今日観ていると、弁士は老人の二人が懸命に聴衆に訴えている最中に華々しく登場する。ということは何だか弁士が二人の夢をぶち壊しに来たようにも見えるのだった。まあどちらでも同じか……
テキストを見ると、確かに二人が熱狂している最中に弁士は登場するのである。だがそのとき既に二人の老人はホンモノの狂気の人になっているようなのだ。つまりこの弁士も老人の妄想の中の人であるのだと思う。
皇帝が登場するとき、背景の黒幕が割れてそこに鏡が現れ観客がハッキリと映る。小さな30人ほどの客席だからこそ出来る演出である。
これは面白い。つまり我々観客もこの老夫妻の夢に招かれたここの椅子に座る彼らの招待客の一人になるわけだ。
このアイディアは、30年前、当時の劇団『河』が清水邦夫の名作『楽屋』を上演したとき、演出の塔崎健二によってラストシーンに舞台背景に鏡を出して観客を映した。これもこの舞台に観客を参加させたのであった。