演目/人形の家

観劇日時/09.12.19.
劇団名/北翔大学短期大学部人間総合学科舞台芸術系5期生
公演形態/卒業公演
作/ヘンリック・イプセン 訳/原千代海
演出/村松幹男 照明/勝見昭二・鈴木静悟・新藤彩織
音響/富井昭次・服部正巳・五ノ井浩・成澤瑛治
衣装・メイク/藤原得代 特殊効果/吉田ひでお
装置・美術/福田恭一
劇場名/札幌・北方圏学術情報センター・ポルトホール

演劇を勉強中の若い人たちが創った端正な舞台

 
『人形の家』という戯曲はあまねく知られている。夫の愛玩物としての人形でしかなかった、3人の子持ちの主婦・ノーラ(=水上真由郁)が、家計の危機に臨んで無知と善意から夫・ヘルメル(=濱田輝樹)に無断で借用書を偽造し、夫に知られないようにしようとして窮地に陥る。
 それを知った夫は前後の事情を無視して激怒する。妻の人格を全く認めない夫に絶望した妻・ノーラは、その夫をはじめ3人の我が子を捨てて家を出る。
 この戯曲は女性の地位や権利がほとんど認められなかった時代に、一種の啓蒙として書かれた経緯があってその後全世界的に上演される戯曲になるのだが、現在では意義が広くなって一人の人間の自立・アイデンテティの確立の経過の物語として再評価されている。
 こういう一種の近代古典を、じっくりと丁寧に演じるというのは、演劇を勉強する学生にとっては演劇の基本を身に付ける作業として意に叶っていると思うのだ。
 彼らは、実にきっちりと上演してみせる。逆に余りにもテキスト通りにやるので、完成された作品として現代の感覚からいうと、かなりかったるい。
しかしおそらく友人たちと思われる若い人たちが大勢観に来ていたが、実に2時間という休憩なしの長丁場を静かに観入っていたのが頼もしい。彼らにとってむしろ新鮮な体験であったのかもしれない。
 最近、いわゆる近代古典といわれる作品を再評価して新しい方法で上演する集団や機会が増えたような気がする。新作に行き詰まったという側面があるのかもしれないのだが、温故知新ということからは大きな意味があるに違いない。
その他の出演者は、リンデ夫人(=弘中千紘)、ランク(=谷村卓朗)、クロクスタ(=川口岳人)、アンネ・マリーエ(=阿部まりな)、ポーター(=飯田綾奈)、女中(=市川薫・斉藤亜耶)である。
だがこうやって出演者を書き出していて気になったのは、彼らは今後どういう進路に行くのだろうかということだ。例えば画学生とかクラシック音楽を勉強しているとか小説や詩を勉強中の若い人たちとか、その人たちと同じようにやはり表現の世界を模索する苦しさを体験している最中であるのか、あるいは単にタレントとして成功することを夢みているのであろうかと思うと複雑な感慨があるのだ。