演目/アグリカルチャー

観劇日時/09.11.16.
劇団名/弘前劇場
作・演出/長谷川孝治 舞台監督/野村眞仁
照明/中村昭一郎 音響/伊藤和人
舞台美術/ニシザワテツヲ
宣伝美術/デザイン工房エスパス
制作/弘前劇場
劇場名/札幌・中央区・シアターZOO

世界は病院だ

 
「世界は舞台で,そこで生きている人間は登場人物だ」という例えに習うなら、この芝居では「世界は病院だ」とか「芸術家は精神障害者」だとかいう台詞が吐かれる。何気なく語られる言葉だが、この芝居の芯を表現していると思う。
 話はいつものごとく、複雑な人間関係の中でもつれる家族の物語である。東北の大きな農家で現在は下宿屋も営んでいる旧家の当主・瀬川糺(=長谷川等)とその子供たち(兄・寛久=林久志/弟・道隆=藤島和弘)、姉・みゆき(=濱野有希)、その夫・亮介(=田邉克彦)、そして彼らにまつわる人々、下宿人で大学準教授の野原慎司(=柴山大樹)、寛久の恋人・美智子(=平塚麻似子)、近所の大学食堂のコック(=永井浩仁)たち……
 その中に浮かび上がる人々の思いの重さ。亡霊として想いの中に浮かび上がる亡き母・澄子(=小笠原真理子)、澄子が幼いころに別れた双子の兄の養蜂家・田之倉(=福士賢治)、そしてラストに爆発する衝劇的な肉体の闘争……
 世界を人間の精神と肉体の存在と規定するなら、この人たちの狂いとは、まさに「病院」とくくるしかないのであろうか?
福祉と文化は経済的な利益を生じない、逆に金がかかるということから言えば、被保護者である芸術家は精神の福祉対象者でもあるのではないのか?