演目/踊りに行くぜ!

観劇日時/09.10.14.
公演形態/全国パフィーマンススペース間のダンス巡回プロジェクト
劇場名/札幌・琴似・コンカリーニョ

 もともとライヴの魅力を文字で表現するのは虚しい作業だ。それは演劇であってもそうだし、ましてや視覚的要素が強いダンスを文字にするのは至難だ。
ことに最近の舞台作品が物語り重視だと言われて、メタファー原理主義者の僕としては慎重にならざるを得ない。
そのことを充分に心して何とか、この舞台の魅力を伝えたいと思うけれども所詮、無理な話であくまでも僕の主観的な心象風景でしかないのだ。

演目1  Crossing over≠キる身体 

集団名/んまつーポス
振付・出演/児玉孝文・みのわそうへい

体技のダンス

男が二人、前半はほとんどスポーツそれも過激な体操競技の床運動のような演技。
中盤は、直径1b高さ15aほどの卓袱台のような小型トランポリンにそれぞれが乗って、コップの水をストローで吹くというギャグを延々と行う。
そして後半、今度はこのトランポリンを縦横に駆使した体技の連続技。いずれも極限の肉体表現。
演技中は音楽に消されて息使いが判らないが、途中で無音になると二人の激しい呼吸の消耗度が推測されて、こちらまで心拍が上がるような気がする。
だが、これは一体何であろうかと、例によって僕は悩むのである。単なる人間離れした肉体の誇示だけではあるまいと思うのだけども……

演目2  横浜滞在 

集団名/山賀ざくろ×山下残

私小説的ダンス

男(=山下残)がほとんど動かず、マイクを使って、横浜に滞在してダンスを創作する苦悩と、日常的な身体の動きを指示し、別の男(=山賀ざくろ)がその語りに従って身体を動かす。
創作の苦悩の表現は抽象的であるが、日常行動を模したダンスはリアルに感じられ、そのバランスが絶妙である。


演目3  はなの実 

振付・出演/山ア麻衣子

痙攣する肉体

上手(かみて)にスポット・ライト、無音。女(=山ア麻衣子)がしばらく不動の姿勢で立っている。
次第に表情・手・足・全身と移っていく痙攣のような動き、さらに痙攣しながらのた打ち回る。
演技の半ばで今度は、下手(しもて)スポット・ライトの中で、始めは忍び笑いから始まって、だんだん痙攣が全身の笑いを伴い、様々な様子の笑いを巻き起こし、それは引き攣って苦しそうな様子を帯び、叙情的なピアノ曲を引きずってその相克の中で苦悶の舞踏が続けられる。
ラストは真っ赤な花びらと霰が降ってくる中で、静かに笑っている。痙攣した笑いの後の安らぎか? 人工的な感情表現のダンス。

演目4  at the A of spirA1 

振付・出演/和泉結香・HIRO

愛の過程

今日の舞台の中で、初めて物語を想像できるダンスであった。
僕はコンテンポラリイ・ダンスの大きな特徴として、演劇的な物語を含んでいると思っていたので、やっと僕の気分に合ったダンスであった。
男女二人の求愛と相愛と拒絶との繰り返しが演じられていく物語、単純で象徴的で分り易いダンスであった。

演目5  北海道札幌市中央区 南6条西26丁目 
振付・出演/木野彩子

自分史ダンス

表題は、木野彩子が生まれ育った場所の地名である。そうなのだ、この具体的なタイトルで分るとおり、このダンスは木野彩子の生い立ちから、ダンス修業に世界中を渡り歩いた顛末を語りながら、その語りに見合う動きを熟練の身体を使って表現する、自分史ダンスなのだ。
客席の椅子に座ったり、客席の通路から客席を見渡したりしながら踊り、それは奇を衒うようにも見えるが、自分を大勢の中に置いて客観視させようとする意図にも見える。
『横浜滞在』にしろ、このダンスにしろ、意表を突く新しい表現方法であろうか。
       ☆
久しぶりにコンテンポラリイ・ダンスを纏めて観たのだが、今まで持っていたコンテンポラリィ・ダンスという僕独特のイメージというか概念が大きく変えられたような一種のエポック・メーキング的な公演であり、かなり衝撃的であった。
コンテンポラリイ・ダンスというものが、どんどん進化というか変化していると感じられたことが印象的であった。